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「りんごのうた」 解
あれは「娼婦のうた」だ。

藤本由香里は傑作『快楽電流』でこう言っている。

■「私たちを娼婦扱いしないでほしい」、私たちは男たちに向かってそう言うのではなく、むしろ「あなたは娼婦を愛せるか」「娼婦に敬意を示せるか」を問うべきなのだ。■

ゆえに、あれは「おんなのうた」だということになる。

♪わたしが あこがれているのは にんげん なのです



作品は、作者の手を離れる。完成後でなく、初めから離れている。よい映画も小説も踊りも棋譜もすべてだ。いつまでも創作者の手から離れないものなど完全な偽物である。

批評とは、「作品」の中に潜在体として息づいている「変化への予兆」を膨らませ、それを顕在化させること、つまり作者の「意図」や「込めた想い」などを遥かに超えて作者自身ですら気付いていない「何か」を掘り起こし、作品を輝かせる、ある種の「芸」である。
非難や批判や論評などは、知性と愛を欠いた者にも可能だ。

批評が「芸」だというのは、小倉千加子の天才的な批評『結婚の条件』を読めば一目瞭然。



♪なみだを ふいて かおを あげて ください
ほら もうじき わたしも みを つくります
ふゆには みつを いれて あなたに おとどけします♪

椎名林檎は、フェミニストかつリアリストなのである。

なみだをながしている「あなた」とは誰なのか。
「抑圧から解放された、理想のおんな」なのかもしれない。
(´-`).。oO(分からんけど‥)

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「なぜか変換できない」
知っているヒトは知っている、あのコピペ。
(初めて読んだときはまぢで茶吹いた)


・ふいんき(なぜか変換できない)

・そのとうり(なぜか変換できない)

・しゅずつ(なぜか変換できない)

・加藤わし(なぜか変換できない)

・ほっぽうりょうど(なぜか返還されない)

・せんたっき(なぜか変換できる)

・空気(なぜか読めない)

・童貞(なぜか卒業できない)

・見つめあうと(素直におしゃべりできない)

・ロマンティック(止まらない)


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『声―松坂大輔メジャー挑戦記』 石田雄太
たったいま読み終わったばかりの石田雄太『声―Voice of Dice-K 松坂大輔メジャー挑戦記』は、『イチロー、聖地へ』や『屈辱と歓喜と真実と』ほどではないけれど、やはり面白かった。

ヤンキース戦の感想。
「周りが思ってるほど驚異的な打線ではないんじゃないかなと。ただ、ジーターはね、カッコいいですよ。あのカッコよさはずるいぞ、と(笑)。ボストンでホームランを打たれた時は、僕が狙ったとこよりも高くいってしまって‥それをレフト線にいい当たりをされるんだったら普通のバッターかもしれませんけど、ホームランにしてしまうっていうのはすごく高い技術を持ったバッターだって思います。右バッターであれだけ高い率を毎年残すジーターの技術力の高さを見せつけられた気がしました」

しかしこの本で最も面白いと感じたのは、東尾との以心伝心秘話だった。
2007年、松坂はボールが指にしっくり馴染まず「これだ」という感触を得られずにいた。そして、6月16日のジャイアンツ戦、6回のツーアウト満塁のピンチでオリリア相手に投げた144キロのストレートが「これだ」となった。

「東尾さん、あの日、ネット裏の前の方の席に座って見てたんです。試合の最初、マウンドに立った時に気付いたんですけど、すごく気にして僕のことを見てるっていう顔をしてるんですね(苦笑)。真っ赤な服着て、もう目立つ、目立つ。東尾さんの席からだと審判が邪魔になって僕のことが隠れちゃうみたいで、審判に重ならないようにボールを見ようとしてひょこっと顔を出すんですよ。だから僕からも常に見えちゃうんです、東尾さんの心配そうな顔が‥、ああ気にしてるんだなぁって。その顔が見えていたからあの一球が出たのかもしれませんね(笑)。あのボールを投げた瞬間、東尾さんが僕に向かって拍手をしてるんですよ(笑)。『そう、そうだよ、そのボールだよ』みたいな感じで。それ見て、危うく次のボール、手元が狂いそうになりましたからね(苦笑)。でも、あれは投げた瞬間の反応でしたから、そんなふうにしてもらったら僕だって嬉しいですよ。僕も投げて『出たっ』と思ったら、見ていた東尾さんも『それだよっ』と思って表現してくれた‥‥そういうことを深いところでわかってくれる人ってそうはいませんから」

こういう話は大好物である。麗しい師弟関係のことじゃなくて、「言葉を媒介とせずにお互いに通じてしまう」という体験話が。

たとえばぼくはバレーボールを中高6年間やっていたんだけど、自分がオープンの位置から思いっきり打ったボールが敵のブロックに少し引っ掛かって敵コートにボールがふわりとチャンスボール状態で流れ、それを敵レシーバーがきちんとセッターに入れたのにセッターがトスをあげる振りをしながら意表をついてナメたようにツーで素早くちょこんとこちらのコートに返してきたとき、敵のアタックをブロックするためにネットに張り付いているぼくは不意をつかれてアタックのための助走距離をとることができないんだけど、「間に合わへんっ!Bやっ!」とオープンの位置から一歩分だけセッター寄りのBクイックの位置に踏み込んでほんの少しだけクイックのための助走距離を得て全力でジャンプしたとき、その直前に一瞬だけぼくと目を合わせたセッターが全てを察して「なんやおまえ、エースやのにクイックかいな」という目つきをしつつも完璧なポイントに物凄く速いトスを入れてきてそれをぼくが完璧に捉えてドスンと敵コートに叩き込んだとき、「うおおおおおおおおおおおおおおおっしゃーーー!!!!ドアホめがっっっ!!!!!!」とネット越しに敵セッターに向かって絶叫してしまうんだけど、そのような無礼な行為はまさに「他人と一瞬にして同じイメージを共有してしまった」という強烈で爆発的な悦びのなせるワザで、あーなんだか書いてて興奮してきたぞ。こういう記憶は一生奪われることがない。

石田雄太は前記秘話を以下のように締め括っている。

ネット裏で、真っ赤な服を着て愛弟子に拍手を送った恩師の姿は、テレビの中継画面にもハッキリ映し出されていた。あの一球の後、他の観客がすべて座っている中でひとりだけ立ち上がった姿は、ひときわ目立っていた。


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雨が好きだ。by 花本はぐみ

雨が好きだ。
世界の輪郭がぼんやり煙って、あたしも一緒に吸い込まれそうになる。

雨の音が好きだ。
すごく落ち着く。
まるで優しく手当てしてもらってるみたい。
山も木も草も屋根も。そしてあたしも。

雨だ。
修ちゃんは雨に似ている。

修ちゃんは雨に似ている。
姿を見るだけでほっとする。
泣きたくなってしまう。

そうだ、修ちゃんはきっとあたしの雨だ。
一緒にいると深く息ができて、草や木みたいにぐんぐん伸びていけそうな気がする。
いつも困ったような顔で優しく笑う。

あたしの大事な、大事なひと。

by 花本はぐみ
Youtube検索「Honey and Clover 2 Episode 11 (2/3)」3:00/8:14

羽海野チカの漫画『ハチミツとクローバー』、文句なしだ。使われている言葉のセンスも素晴らしい。
アニメ版の完成度も抜群に高かった。
ドラマ版は最初の5分を見てやめた。

やっぱり森田忍だよなあ。あと勅使河原美和子(藤原デザイン事務所)。

アニメ版第1期のエンディングテーマ:スネオヘアー『ワルツ』も大好きだ。
(Youtube検索「Waltz Suneohair」)

羽海野チカは現在、隔週誌「ヤングアニマル」で『3月のライオン』を連載中。
主人公はプロ棋士。将棋大好きなぼくが読んでないワケがない。

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ブログ開設2ヶ月経過。
先週の日曜、ようやく携帯からのアクセス捕捉に成功した。FC2はPC用と携帯用のテンプレートが別々になっているので、解析タグを両方に貼らないといけなかったんだなぁ。

1週間の[PC:携帯]解析結果
トータルが、6:4
ユニークが、3:7

結局、携帯人が多いと判明した。ただ、アクセスはPC人が多い。
携帯人はマメに読み、PC人はまとめて読む。さらにPC人は過去のエントリを再び読んでくれる人が結構いる。

PCは、検索エンジンから辿り着く人が多いという特徴もある。検索ワードで圧倒的に多いのは「パンティライン」「クロッチライン」「下着」。
(;´∀`)‥‥‥‥

先日、GYに「1本にどれぐらい時間かかります?」と聞かれたが、旧作だと改良に10分~60分、新作だと120分以上かかる。
新作については、基本的に「考えがまとまったもの」はほとんど書かない。考えながら書き、書きながら考えることになる。なんとなく着想を得たものをブログupを利用して考えるといった感じ。書きあがったものを読んで、自分で「なるほど!」と納得することもある。それに電車で移動中なんかのヒマなときに時々アクセスして読んで「おもしれー!」と感動することもある。自分が出演した番組は全て録画して自宅で視て爆笑しているという明石家さんまクラスだ。先日「以前はPCからでしたが、最近は電車内でのヒマ潰しに携帯からアクセスしてます」と立て続けに言われた。確かにそうだ。しかしたまにはPCからもアクセスして欲しい。動画も面白いし。

当ブログは引用が多い。
我々の意識(顕在・潜在を問わず)は、どう少なく見積もっても99%以上が「他人の思考」および「他人の言葉」で構成されている。「自分の思考」なんて頑張って1%あるかどうかだ。それで全然構わない。1%も持ってれば、それだけで食べていける。
引用は当然だ。


毎回21:00の予約更新。今日のように2つupすることも稀にある。

「風景」の発見
ぼくたちは美しい自然の景色を見てふと心の安らぎをえる。

人類が自然の景色をそのような枠組みで見るようになったのは、17世紀欧州以降である。これを「風景の発見」といってしまうなら、「風景が発見」されるまで人類は自然をそのように鑑賞してこなかった。
絵画や小説であれほど自然の景色が主題とされていたにもかかわらず、人々は現在のぼくたちが見るような意味で景色を見ていなかった。彼らが見ていたのは、景色に先行する他の文脈だった。(参考『日本近代文学の起源』柄谷行人)

「風景」は17世紀に、「子ども」は18世紀後半に、「無意識」は20世紀初頭にそれぞれ発見された。現代日本の性規範は明治以降に輸入されたもの(ゴミみたいなマガイモノ)にすぎず、「持ち家信仰」は戦後になってはじめて発生した。

現代の多くの「思考の枠組み」や「ものの見方」は、普遍的なものではなく、一過性の流行にすぎない。しかしそのことをイメージすることは極めて困難だ。

ぼくたちは、かつては存在しなかったものをあたかもそれ以前から普遍的に存在してきたかのように錯覚しがちだけど、それを後天的「刷り込み」と言ってしまっても構わないけど、それらが一過性の流行にすぎないものであると認識することは大切なことで、それを相対化という。刷り込みを解体していくこと。いわゆる脱構築(デリダの造語)。

解体作業を続けるということは、つまり不安定さを積極的に受け入れていくということだ。
嬉々として思考の底が抜けていくことを受け入れていく。

相対化。それは自由への唯一の道だ。


※司馬遼太郎の『峠』と『竜馬がゆく』は大好きで何度も読んでいるけど、登場人物たちはみな「民主的」な考え方をする。ありえない。たとえば我々は「近代以前の日本人の考え方は理解できるが、現代の○○人の考えはなかなか理解できない」となんとなく思っているが、これは逆だ。現代に生きる○○人と我々の方が圧倒的に多くの情報を共有しており、むしろ近代以前の日本人の考え方は非常に遠い。近代以前の日本人が当然のことのように持っていた「常識」は、どう考えても我々のものとは大きく異なる。


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「りんごのうた」椎名林檎
もちろん椎名林檎が天才だってことは知っていた。しかしこの「りんごのうた」の全歌詞を読んで、林檎が詩人の伊藤比呂美クラスであることを思い知らされた。

♪あけび が ひらいた のは あきいろ の あいず でしょう

これを「みんなのうた」で流してたのか。
すごいなNHK。その度胸を買う。

「あけび」というのは女性器の隠語だ。
(「山のあけびは何見て割れる 下の松茸見て割れる」)
椎名林檎がそのことを知らないで作詞したはずがない。
しかしまぁそんなことはどうでもよろしい。

♪わたし が あこがれているのは にんげん なのです
♪ないたり わらったり できること が すてき

おそろしい。
こんなうたを日本中のこどもに聴かせていったい何を企んでいるのか林檎。
これは「りんご」のうたではない。
もちろん「あけび」のうたでもない。
椎名林檎がうたっているものは何か。「わたし」は誰で「あなた」は誰なのだ。

これは椎名林檎から静かに叩きつけられた「ちょうせんじょう」だ。

♪めしませ つみ の かじつ


全歌詞(PC)、全歌詞(携帯)


※さすがにYoutubeの動画を埋め込むのは憚られる。
Youtubeで「りんごのうた」「Shiina Ringo - Ringo no Uta」で検索して欲しい。
前者だとNHK動画、後者だとPV動画が見つかる。

それにしてもこの歌詞。小倉千加子や伊藤比呂美や藤本由香里がどう解釈するか是非とも読んでみたいものだ。


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世界を肯定する哲学
『知性のために―新しい思考とそのかたち』の著者はこう言っている。

知性とは、肯定へと向かう積極的な資質です。
肯定とは、もちろん現状の無批判な追認ではなく、そこに潜在体として息づいている「変化への予兆」を膨らませ、それを顕在化させることに他なりません。


「人」の中に潜在体として息づいている「変化への予兆」を膨らませ、それを顕在化させることを、『教育』という。つまり『教育』とは、「人」を輝かせるものである。

「作品」の中に潜在体として息づいている「変化への予兆」を膨らませ、それを顕在化させることを、『批評』という。つまり『批評』とは、「作品」を輝かせるものである。

「変化への予兆」を発見するには、『愛』が必要である。『愛』ゆえに人は、「人」や「作品」をはじめて、視る。

『愛』とは、つまり、肯定の視線を注ぐことだ。


『知性』も『肯定』も『愛』も『教育』も『批評』も、そして『変化』も、手垢にまみれてしまっている。21世紀に生きるぼくたちは、再びこれらを輝かせなければならない。



蓮實重彦『知性のために』

知性とは、何が自分に可能なのかを具体的に想像する者が、その実現に向けて演じてみせる身振りのうちに露呈される力に他なりません。それは蓄積されることのない力であり、有効に機能する瞬間にのみ威力を発揮するものなのです。その点で、知性は、蓄積され構造化されうる知識や情報とは大きく異なります。構造的に蓄積された知識はともすれば変化を恐れますが、知性は、潜在的に萌芽としてあるものを顕在化せしめるものだという意味で、本質的に変化を誘発する運動なのです。


ヽ(´∀`)ノ

保坂和志『世界を肯定する哲学』




デレク・ジーターのたたずまい
昨年、AT&Tパークで行われたMLBオールスターゲーム。
ランニングホームランを打った後、ベンチに戻り、マニー・ラミレスから「お疲れ様」とでもいうように大袈裟にタオルで仰がれ、ベンチ前の金網に手をかけてベケットと話し、ジーターとも談笑するイチローを見るのは誇らしい体験だった。

1番イチロー、2番ジーターというアメリカン・リーグのラインナップはなんとも魅惑的で、この2人はまず何をおいても美しく、そしてクレバーだ。

イチローは、2001年のALDS第3戦でジーターがやってのけた『あのプレイ』をテレビで見ていて「絶句」したらしいが、おそらくその時点で、自分より1歳年下のジーターが自分と同じレベルで野球ができる選手だと確信したことだろう。

イチローがメジャー8試合目で見せたあの「洗濯物が干せそうなほど糸を引くような低い弾道」のレーザービームは『ザ・スロー』と呼称され既にメジャーの伝説となっているが、ジーターの上記プレーも『ザ・プレー』と呼ばれるべきものだ。


この1分19秒の動画のうち、『ザ・プレー』は1分08秒からのたった10秒ほどのみ。


ジーターは「マライア・キャリー、スカーレット・ヨハンソン、ガブリエル・ユニオン、ジェシカ・アルバなど数々の女性との浮名を流し、ニューヨークでも指折りのプレイボーイ」だが、松井と同じ超高級コンドミニアムに住むという彼がモテるのは、あの端正な顔立ちや高給だけが要因なのではなく、やはり彼の「たたずまい(佇まい)」が決定的なのだと思う。

「たたずまい」というのは、一にも二にも哲学や倫理の表出であって、どうやっても誤魔化しようがないものだ。香気漂うが、それは汚らしいオバハンから匂い立ってくるドギツイ香水などとは異なり十分に抑制されているのだけど、それを可能にするのは知性の強度だけである。

ジーターが打席に立つと、ぼくは録画であっても早送りをしたことがない。
彼は「たたずまい」だけを見ていても退屈しない稀有な選手である。

余談だが、高見盛という力士も一瞬たりとて目を離すことができない存在であるが、彼の場合は「ふるまい(振る舞い)」が魅力的なのであって、「たたずまい」ではない(というか高見盛は「たたずまい」など微塵も持ち合わせておらず、そこがまた彼の素晴らしいところだ)。

ジーターのボール球の見逃し方は、少年野球では絶対にこういう見逃し方はしてはいけないと教えられる典型なのだけれど、もちろんジーターにそんなことは関係なく、あの腰を曲げて「おっとっと」という見逃し方ですら圧倒的に美しい。

松井がケガから復帰した試合でいきなり4安打したとき、ジーターはベンチで「そりゃねーだろ」という感じでお手上げ的な笑顔を漏らし、そのシーンは何度も日本のテレビで流された。これは松井の凄さを物語る文脈で用いられたのだろうが、テレビ局の編集者は潜在的にジーターのあの少し中嶋悟にも似た笑顔にやられたのであり、視聴者が感じたのも同じものだと思う。

※『あのプレイ』[wiki]
彼の一つの特徴として、強烈な印象を残す守備が挙げられる。
もっとも象徴的なものとして語られるのが、2001年のアスレチックスとのALDS第3戦で見せたプレイである。
ヤンキースの1点リードで迎えた7回2死一塁からヤンキースの先発投手マイク・ムッシーナがアスレチックスのテレンス・ロングにライト線を破る長打を浴びる。右翼手のシェーン・スペンサーが本塁に返球したところ、中継に入った一塁手のティノ・マルティネスの頭を超える悪送球になってしまう。ボールが本塁数メートル前の一塁側ファウルラインのあたりを転がるところにジーターが飛び込み、右手でつかんだボールをそのまま捕手のホルヘ・ポサダにバックトス、走者のジェレミー・ジアンビを 間一髪でタッチアウトにする。
当時アスレチックスのジェイソン・ジアンビがヤンキースに入団した際、彼は真っ先に「おい、あのプレーの練習を見せろ」と言ったといわれている。

(´-`).。oO(またテレンス・ロングが絡んでるのか。イチローにレーザービームで刺されたのもヤツだった‥)

***
右カラム(右列)にあったプラグイン「人気ブログランキング」をひとまず消した。
パソコンから閲覧すると当ページは重い。左右カラムの「本」や「音楽」の羅列によるものかとも思ったが、どうやら「人気ブログランキング」の仕業のようだと気付いた。ゆえに。

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失敗の記憶
高校生活が終わると、ああもっと失敗しとくんだったなあと思う。
大学生活が終わると、ああもっと失敗しとくんだったなあと思う。
30歳になると、ああ20代にもっと失敗しとくんだったなあと思う。

いくつになっても「もっと失敗」に対する羨望は同じままだ。

ミスと失敗は違う。
失敗は、なにかに挑戦した者にだけ許される特権である。
そしてひとは失敗によって膨大な情報を蓄積する。


増島みどり「In His Time -中田英寿という時代-」。
国見高校の監督だった小嶺忠敏は、中田をU-15(ジュニアユース)日本代表に召集した監督だが、彼は当時の中田をこう振り返っている。

「中田は特にうまい選手じゃなかった。ただ、彼は積極的な選手だった。とにかく失敗した。失敗を繰り返していた。それもまったく悪びれずにね(笑)。彼のキラーパスと呼ばれているパス、あんなパスは気の遠くなるほど失敗をしていないと出せないんですよ。中田は失敗の数だけが人と違った。」




めちゃくちゃイケてるオトナの男&女を何人か知っている。
彼ら彼女らは皆揃ってお茶目で愉快だ。成熟したオトナであるがゆえにオトナのフリをする必要がない。自信があるから素の自分を晒せる。オトナのフリをするのはコドモだけだ。
お茶目なオトナになりたいと思う。


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自由は型の果てに。
「基本」や「定石」や「型」などいろいろ言われるが、これらを総称してひとまず「型」と、ここでは言っておく。

茶道にしても華道にしてもバレェにしてもヴァイオリンにしても野球にしても相撲にしても将棋にしても思考にしても、それぞれに「型」があり、その型を体に叩き込んでからじゃないと「自由」などやってこない。基本をマスターしない者に応用など永遠に訪れない。

型がないから自由だというのは間違っており、型がないのは単に原始段階にいるにすぎず、それはきわめて不自由な状態である。

型を体得した者だけがその型の枠内で自由を味わえ、さらなる才能の持ち主やさらなる努力をした者だけがその型を超えて強烈な自由を堪能できる。

そういう気分ってどういうものなんだろうか。

刑裁起案の「型」すらマスターしていないおまえに分かろうはずもない!だなんてツッコんでしまう人間性ってどんなもんだろう。


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男と女の市場価格
男にも女にも市場価格(market price)が付くことがある。

市場(market)は1つではない。就職市場、恋愛市場、結婚市場、プロスポーツ市場など様々な市場があり、市場によって当人の価格は異なる。恋愛市場において高い価格が付く者が必ずしも結婚市場で高値が付くとは限らないというように。

恋愛市場は、多種多様な嗜好(フェチ)が渦巻き複雑であるが、結婚市場はフェチとは無縁だ。
最も多くの人が参加する市場であり、価格付けはシビアに行われる。
 (当然ながら、人の「価値」と「価格」は異なる)

人が自動車を購入するとき、購入可能範囲は予算によって自動的に決定される。Ferrari F430 spider が欲しいと思っても、100万円しか予算を組めない者には買えない。

では、結婚市場においての予算とは何か。
それは「当人の市場価格」である。人は自分の市場価格の範囲内でしか異性を取得できない。自分の市場価格が100万円しかない者に、市場価格10億円の異性を取得することはできない(恋愛市場と結婚市場が最も異なるのはこの点においてである)。

こんなことをテレビや新聞で言われるとヒステリックに投書などしてしまう人であっても、いざ自分や娘・息子・孫が結婚するときには全力で相手を値踏みする(ときには興信所さえ使う)。

このように、結婚は、市場における「同一価格帯」の者同士でのみなされる。この「価格帯」のことを我々は「階層」と呼んでいる。

その昔、ある女性エッセイストがこう書いていた(誰かは忘れた)。

「私は世界中を旅してきた。男と女は、人種・民族・言語・宗教(ときには性別だって)の壁など、意外にもやすやすと越えて結婚してみせる。しかし、階層を超えた結婚というものはほとんど存在しなかった。」

そう、だからこそ、階層を超えた結婚というのは神話化され、人々の熱狂的支持を受ける。

この価格帯がどれほど細分化されるのか分からない。10なのか100なのか1000なのか。分かっているのは、我々が、相手の市場価格を極めてシビアに評価するのに対して、自分の市場価格は最大限に過大評価してしまいがちだということだけである 。

人の市場価格を決定する要素は何だろうか。
男性と女性とで、また、国・地域、時代によって優先順位などは異なるだろうが、おそらく、容姿・経済力・職業・学歴・ 性格・健康・年齢・家柄などであろう。

上記要素によって市場価格が決定された後、同一価格帯においてはじめて人は、愛情・尊敬・趣味の一致・価値観の一致などの双方向的要素を考慮することになる。


現代社会は世知辛いのだろうか?
そうではない。こんなことは太古の昔から行われてきたのだ。現代社会はむしろ異常に緩んでいる。


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一塁へのヘッドスライディングは、貧乏臭い。
高校野球じゃあるまいし、プロの野球人たる者、一塁にヘッドスライディングなどすべきではない。走り抜けた方が速いと言われるがそんなことはどうでもよい。とにかくみみっちくて貧乏臭いのだ。

ドラゴンボール、ポケモン、美少女戦士セーラームーン、宮崎駿作品などを世界に輸出し、アニメ界の覇権を握り、世界中の若者からCool JAPANと憧れの眼差しを向けられているこの国のプロ野球を偶然にも観戦してしまった欧州貴族の子弟達がその父親と交わす会話は以下のようなものとなるであろう。

「ねぇ、お父さん、どうしてCool JAPANのプロ野球選手が一塁あたりで地べたを這いつく回ってるの?」
「あれはね、温故知新という大切な教えと思考停止を履き違えているんだよ」
「ふーん‥。あんまりCoolじゃないね。彼らともう一度戦争してもきっと負けないね」
「それはどうかな。日本にもICHIROやMATSUZAKAやAOKIやWAKUIやDarvishがいるからね」
「でもICHIROもMATSUZAKAもUSAに行っちゃったし、AOKIとWAKUIとDarvishだって数年後には絶対に行くよ?」
「そうだねえ‥」


一塁にヘッドスライディングした広瀬哲朗に、落合博満は言った。
「怪我するぞ、馬鹿」

一塁にヘッドスライディングした川崎宗則に、イチローは言った。
「馬鹿げたことをするな、かっこ悪い」


プロ野球では木製バットを使用するが、木製なので当然湿度の影響を受ける。湿度差で重量・形状が微妙に変化する。携行の際は乾燥剤を入れたジュラルミンケースに収め、練習中も芝生や土のうえに放置すべきでないのだが、それらの管理方法を徹底的に実践したのは現役時代の落合だけで、そして現在ではイチローのみである。(もしかすると最近では落合の影響を受けた中日ドラゴンズの選手や、イチローの影響を受けたWBC代表選手がいるかもしれない)

ミズノの天才バット職人である久保田五十一(イソカズ)は日本のトップ選手たちのバットを作り続けているが、落合とイチローのバット管理は別格だという。この天才打者2人は、バットを自分の身体の延長として考えている。

そのような2人が、一塁へのヘッドスライディングを馬鹿にするのは当然だ。
リスク管理力と審美眼、この二つを同時に持てない人間はプロ野球選手の名に値しない。


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アメリカンジョーク [02]
弁護士が依頼人に報酬1000ドルを請求した。
依頼人は真新しい100ドル札で支払いをした。
依頼人が帰ったあとで弁護士は2枚の紙幣がぴったりくっついていることに気付いた。100ドル多くもらってしまった。
弁護士は倫理的問題に直面した。

このことをパートナーに言うべきかどうか。

@@@

ある日、一匹の犬が肉屋の店先からローストチキンをくすねた。
その犬は、肉屋の隣人の弁護士の飼い犬だった。
肉屋は隣人に電話をした。
「もし、あなたの飼い犬がうちの店からローストチキンを盗んだとしたら、あなたに支払いの責任がありますよね。」
「もちろんそのとおりです。ちなみに代金は幾らでしたか?」
「7ドル98セントです。」
数日後、肉屋は郵便でローストチキン代の小切手を受け取った。
封筒には請求書が同封されていた。

「法律に関する相談サービス:150ドル」

@@@

ある大学で教授が女生徒Aに、「適当な条件下で、大きさが通常の6倍になる体の器官を挙げてください。その時の条件も言って下さい」と質問をした。

指名された女生徒Aは、顔を真っ赤にしながら冷ややかに答えた
「これは適切な質問ではありません。この件は学校に告発します。」

しかし教授は平然としたまま、別の生徒に同じ質問を繰り返した。
女生徒Bは落ち着いて答えた。
「目の中の瞳です。暗いと大きくなります」

「正解です。それからAさんには言いたいことが3つあります」と教授は続ける。
「1つ。授業は真面目に聞きなさい」
「2つ。あなたの心は汚れています」
「3つ。6倍になるなんて思っていたらいつの日か本当にがっかりする日が来ます」

@@@

機長がマイクでいつものように室内アナウンスをしていました。「ご搭乗の皆様、当機は高度1万フィートを順調に航行しております。」
ところが、この機長がマイクのスイッチを切り忘れたためにコクピットでの副機長との会話がキャビンに筒抜けになってしまいました。

機長:「あ~退屈だなぁ!なんとかなんねぁかな。」
副機長:「私はコーヒーでも飲みたいですね。」
機長:「オレはコーヒーの他に、フェラチオでもしてもらいてぇな。」

それをキャビンで聞いていたスチュワーデスが慌ててコクピットの方に走っていった。
それを見た乗客の一人が一言。

「コーヒーも忘れるなよ!」


出典

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Occhiali Sanzi (オキアリ サンジ)
池袋を徘徊することが多い。必ず寄る店がある。今日も寄った。そして買った。
『Occhiali Sanzi』。Occhialiはイタリア語で「眼鏡」。

東京都豊島区東池袋1-3-6三治ビル1F/年中無休


メガネが好きだ。15本ほど保有。
ZoffやHatchの品揃えも豊富だけど、いかんせんサイズが小さい。小顔用。ぼくの場合、顔が膨張の一途を辿っている。ハッブルやアインシュタインが生きていればぼくの顔を定点観測して「やはり宇宙は膨張している」と言ったはず。
Occhiali Sanziは大きめサイズもあるのでヨイ。(御徒町のアイアイ369もヨイ)

大きいメガネ研究会というのがある。「会員店」をチェックすると中野のサンモール内にも店があるんだけど、少し高い。1本に25k円以上出せるようになれば利用しようと思うけど、1本10k円以内しか予算が組めない現状では使えない。
(´-`).。oO(購入本数を減らせよ‥)


Occhiali Sanziで最初に買ったメガネは今でも毎日かけている黒縁(下縁なし)のセルフレーム。めちゃくちゃ気に入っている。店に寄る度に洗浄してもらう。メガネ洗浄器では汚れが落ちない部分がある。

同型同色のサングラスも作った。とにかくこの型は最高だ。
いつだったか「色違いが入荷する予定は?」と聞くと、「ありますよ」と言ってたのに何度行っても遭遇しない。痺れを切らして今日聞くと「入荷したんですが、すぐ売れました」と。怒髪天を衝いたぼくは「これが連絡先ですから入荷したらスグに連絡を下さい。仕事をほっぽらかしていつでも飛んできます」と。濃い赤が欲しい。

とても気に入ったものは、眼鏡であれ時計であれ服であれ、(高いものでなければ)2つ買うようにしている。同じ色の場合もあるし、違う色の場合もある。自分に合う「型」というのは、「異性」と同じく、なかなか出逢わないものだ。

買ったものは身につけて帰る。眼鏡を買えば掛けて帰る。靴なら履いて帰る。
買い物で疲れていてもウキウキ帰路になる。

帰宅して鏡に映る自分を見て「なんでこんなもの買っちまったんだ!しかも2つ!バカか!」ということもあるが、それぐらいのことでへこたれてはいけない。リスクとはそういうものだ。


行動経済学が大流行している。行動経済学者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)は、経済学と認知科学を統合した行動ファイナンス理論などで2002年にノーベル経済学賞を受賞した。彼は言う。
「1万円を損した場合に感じる苦は、1万円を得した場合に感じる快よりも大きいのが、人間というものだ」


2つも買うのは、愚の骨頂。
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