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コピ新
285 名無し
自意識過剰を治すために俺は山にこもった。

そんな俺を心配して友人が俺を探し回っているだろう。
山にこもって三ヶ月目、心配になって携帯のメールチェックをしてみたのだが誰からも入っていない。
電波バリバリ三本立ってるのに。電波バリバリ三本立っているのに。
ドコモにだまされた気分になりためしにかかるか親友のけんじに電話をしてみた。

「ごめん、心配かけてごめん。たかおだ。」
「わりぃ。また後にしてくれ。」

わりぃ、けんじ、忘れていた。基本的にけんじは素直になれない男だったな。
ちなみに「わりぃ」という彼の口癖は俺のものまねだ。

ところで自意識過剰の俺には山の生活がぴったりだ。なぜって人の目がないから。
人の目はいつも俺をしめつけた。みな俺のことを見るからだ。
こうやって他を意識せずに暮らしていくのはとても心地よい、新鮮な世界だ。
ところで、けんじ、あんなきり方をして俺にすまないと思っていやしないか心配になってきた。
電話をしてやろう。

「全然気にしてないからな。心配するなよ。」
「わかった。また後でな。」

速い。通話時間5秒だ。5月は俺の誕生月だ。
それにちなんできりやがったな、けんじめ。
50秒だってかまわないのに。50秒だってかまわないのに。
いきな演出だ。俺の真似だな。

山の生活もすばらしいが、みんなを心配させるのはとても忍びない。
俺は駅へ向かった。そろそろみんなを安心させてやらなくちゃ。
京王線高尾山口駅、俺の名前にちなんでつけられたその駅へ行く途中、何人もの女性と目が合った。
まったく困っちまう、山から下りたとたんこれだから。
電車も心なしか俺を意識しているかのようだ。
俺の走りっぷりにどことなく似ている。この感動を親友のけんじに伝えよう。

「あのな、京王線な、俺に似て・・・」

電話が切れた。頭の切れる俺にちなんで切ったのだろう。
けんじめ、相変わらずいきな演出だ。


コピペ新聞

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日々の出会い
昨日。
事務所のあるビルに入ると、エレベーター前に知った顔が。
じーーっと顔を凝視しながらずんずん近づくと、
「あっ!ふじぼうさん!」
「なんやおまえ、こんなところで何しとんねんw」
「法律事務所に用事がありまして」
「俺の事務所にもデカい仕事回さんかいw」
「あ、弁護士になれたんですかw」
「無礼千万w」
「いやあ、そろそろ修習も終わってるんだろうなと思ってたんですが、本当に弁護士になれたんですねw」
「黙れw ところでおまえ彼女できたんか」
「いえ‥」
「ちっ、相変わらずアカンやっちゃのぉ」

日本郵政株式会社(旧日本郵政公社)のH、相変わらずアカンやっちゃ。


こないだ。
東京地裁で、明らかに成金社長風のおじさんクライアントと、スーツのポケットに手を突っ込んだまま話している見知ったチンピラ顔が。
やつがクライアントと離れたときに
「おい、そこのチンピラ」
「ん?あっ!ふじぼうさん!」
「また飲むか」
「旅行!箱根の桜庵でまた芸者遊びやりましょ!」
「ああ、またあそこで哀*翔に会えるかもなw」

先輩弁護士M、芸者遊びしような。


こないだ。
四谷駅でJRから丸ノ内線に乗り換えるために、あの横断歩道を渡ろうとしているとき、左斜め前方のビルを見上げながら「TKが上智ローで頑張ってんだなぁ。電話してみっかなあ」と思っていると、横断歩道のど真ん中で、
「ふじぼうさん!」
「あれw」
「なにやってんすか?」
「仕事だよ。そっちこそなにやってんだ」
「本屋に行こうかと」
「そっか。‥‥じゃw」
「ちょwww」
「いや、年末に飲んだばっかやから、話すことあらへんしw」
「あ、ちょっと!」

KT、今年の新試験頑張れ。


こないだ。
昼飯時、ビルの外で煙草を吸ってると、修習生らしき若い男を連れた見知った顔が。
5mほど離れたところでじーーっと顔を凝視していると、
「あっ、兄ちゃんw」
「おうw」
「○○って飯屋、どこやったっけ?」
「もいっこ先の道やで」
「ああ、あっちか。そういや、マンションもうちょいで成約やから遊びに来たらえーわ」
「分かった。行くわ」
「そうそう、彼、うちのボスの修習生の××君」
「あそう、よろしくね♪」
「ほんだらな」
「じゃあな」

(´ー`)y-~~



24人/F森追加
調整がついた。一次会のみだが。
バンド活動が忙しいようだ。
他にも楽しい報告がなされるだろう。

<迂回読者>17人
GY、YT、TO、M上、JK、YS、S城、K保、KM検事、DA、IWKn、U住、F森、K西、O中、YS嬢、T木嬢。
(K西は最近になって迂回にハマってるらしい。厳密に言うとコピペ新聞に‥)

<ワイン部>4人
ヤ*ピー、K吉、N嬢、H林嬢。

<意味不明な同姓>2人
ユー*ケ(YN)、*ポ(TN)



ジョン・レノンの名言
真実をもとめてよりよい生きかたをさがしているって?
そんなの自分自身をみつめることから逃げるための言いわけだろ?


心を開いてイエスって言ってごらん。
すべてを肯定してみると答えがみつかるもんだよ。




23人 TN(*ポ)追加
「31日なんかあるらしいじゃないっすか!俺も行きます♪」

合コンか何かと勘違いしてるんだろな。
読者でもワイン部でもないのに、「俺は呼ばれて当然」というあの勢い、大変結構。

過去ログをここで訂正しておく。
「同期から人間のクズ11人選抜せよとry


T木嬢は二次会から参加。
朝まで飲むために体力温存なんだな。
気合を感じる。

そうそう、一次会はキャパいっぱいなので、もう勘弁。
二次会は大きい部屋に変更できるので、まだ7人ほど追加可能。呼びたい人がいれば、時間と場所を教えてやって、金曜21:00までにふじぼうに連絡するよう伝えて。

なお、(メールに書いたように)一次会の欠席連絡は金曜18:00まで。厳守でよろ。

風邪が流行っている。
各々自愛されたし。

(o・_・)y―~~~



前橋汀子/王子ホール(銀座)
ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏だと。6500円
可能なら、バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」を聴きたかったが、(そりゃそうだろ)、どうやら同ホールで2007年9月に全曲演奏をやってしまったらしい。
どうして聴き逃してしまったのだこのクソ野郎と自分を小一時間問い詰めたい。

しょうがない、別にクロイツェルもスプリングも聴きたかぁないけど、なんせ前橋だ、予約しちゃおう。
と思ったら、完売だった。

(´・ω・`)ショボーン

『LOVE J.S.Bach』(PC) (携)で前橋の凄さを語ったが、彼女は「凛」をまさに体現している演奏家である。



「最新コメント」>PC人
以前も一度書いたけど、再び。

携帯人は、『迂回』にアクセスした最初のページの一番下に「最新コメント」があるから、最新コメントを確認することが容易だ。
PC人は、左カラムにエントリ&コメントがセットになってるので、最新コメントだけを確認するのが面倒だ。
なので、携帯と同じく[ここ]でヨロです。


コピ新
677 名無し
中国って儒教や道教が生まれた国だろ?
なんで現代中国は礼節とかが浸透してないんだろうな?
説明できる人いる?

686 名無し
>677
ないから生まれるんだ。
中国人は道徳心が無いから儒教が生まれた。
日本人は勇気がないから武士道が生まれた。
アングロサクソンはずるいからフェアプレーの精神が生まれた。



603 名無し
最近のイメクラ凄いぞ。
ツンデレお願いしますといったら、「そんなの知らないわよもっと普通の選んでよバカ」と言われた。
あなどれない。



309 名無し
ある時、私は、冷酷なスナイパーでした。
飛ぶ鳥を落とす勢いで、飛ぶ鳥を落としてました。
そのくらいヒマでした。

ある日、依頼主が 必死な表情で私に言いました。
「この写真の男を殺してほしい。金ならいくらでも出す。頼む 俺を助けてくれ!」
私は冷酷な笑みを浮かべて答えました
「無理。」
つまり、そのくらい冷酷でした。

万事その調子で、気が付くと再就職の難しい年齢になってきました。



13 名無し
冷めたたこ焼きのうまさは異常

14 名無し
冷たいアイスのおいしさは異常

15 名無し
冷めたケンタッキーのうまさは異常

16 名無し
俺を見るみんなの冷たい目は正常


コピペ新聞



22人/T木嬢&U住を追加
F森は調整がつかなかった。残念だ。

U住は調整がついた。参加。

<供述調書>
問:土曜の夜はデートだから無理だと言い張っていたが、本当はマ*オ最新事情をインターネットで調べる時間が欲しかっただけなのではないか。
答:違います。
問:マ*オで人生最高の一晩を過ごしたというのは本当か。
答:‥‥
問:どうして遠い目をしているのか。
答:していますん。
問:どっちなのだ。
答:あの夜を言葉にすることは不可能です。
問:デートというのは嘘だったと認めるのか。
答:私はただマ*オに行きたい、それだけなのです。男たちと焼肉なんか食べている場合ではない、そう言いたいだけなのです。
問:女性が参加することになったと聞いて転向したのか。
答:そうではありません。マ*オを凌ぐ女性などいないのです。
問:マ*オというのはそれほどのものなのか。
答:行けば分かる、行かねば分かるまい、マ*オとはそういう場所です。


T木嬢を追加。
まだ読者であるという。大変結構。
『あの非常にディープな飲み会』に参加していいものかと心配していたらしいが、大丈夫、他にも女性は3人参加することになった。安心して欲しい。


なお、二次会の店は、YS御用達(合コン)だそうだ。
まじ萎えた。恋の生まれる予感がまったくしない。

( ´_ゝ`)



『男よりテレビ、女よりテレビ』小倉千加子
『女性モノカキ№1』(PC) (携)で、「たった1人だけ女性の面白いモノカキを選べと言われれば、一体それは誰になるだろう? 西原理恵子、ナンシー関、小倉千加子。誰だろう。」と書いた。

わかっていた、ナンシー関を超えるテレビ批評コラムを書ける人間など現れるわけがないことぐらい。
しかし期待せずにはいられなかった、小倉千加子がテレビ批評をしたらどれだけ面白いのだろうと。

昨年9月に出版された『男よりテレビ、女よりテレビ』(小倉千加子)をついに読んだ。

ナンシー関を超えたとまでは言えないかもしれない。
が、しかし、どう考えても、どう考えても、必読。
事務所のパソコンを質に入れてでも入手すべし。

禁じ手と自ら知りながら北川悦吏子は障害者を使った。
『愛していると言ってくれ』で、北川は男性(豊川悦司)を障害者にした。これは、男性側にハンディキャップを持たせて、男女のパワー・バランスを回復するという新しい恋愛の発明であった。『ビューティフルライフ』で、北川は、今度は女性(常盤貴子)側にハンディキャップを持たせて、男性の打算のない愛を証明した。
『オレンジデイズ』では、再び女性(柴崎コウ演じる紗絵)側にハンディキャップが与えられている。『オレンジデイズ』の純愛は、どうせ手に入れたら汚れてしまうんだから、なるだけ所有を遅らせようとするポストモダンの純愛である
紗絵は櫂(妻夫木聡)にこう告げる。
「あなたは私を忘れるわ」
「僕じゃ不安ってこと?」
「私たちじゃ不安ってこと」

「私たちじゃ不安」という言葉に秘められた孤独は、紗絵が障害を持っていることとは関係がない。恋愛とは、非信頼関係における感情であり、女の子が真に求めているのは、恋愛以上の絶対に安全な何かなのである。
紗絵には自信がない。それはすべての女の子がそうであるように、自分が「ただの女の子だから」である。女の子であることの根源的な不安に怯える紗絵は、だから母親を選ぶ。

オセロの中島(黒)には、「女性自意識」への拘泥を常に感じる。松嶋(白)には、それがない。
知識と才能は別物である。松嶋には知識はないが、もっと肝心なことは思い知らされて育っている。そして、そのことを中島は知っている。
番組で、「人に言われて凹んだこと」に、「おまえは何があっても絶対に一人で生きていける」と彼氏に言われた事が挙げられたとき、「なんでいかんのん?」と即座に松嶋は発言した。中島は何も言わなかった。
女性の「孤独」に敏感な中島と、それに無関心でいられる松嶋。二人は分身なのだと思った瞬間である。

『白線流し』が、10年をもって終了した。
開業医の一人娘として純粋無垢なままに育った園子(酒井美紀)と、工員として働く渉(長瀬智也)は、相手の中に自分と同じものを見出す。恋とは、他我の中に自我を見ることである。
ずっと園子を見守り、東京で弁護士になっている優介(柏原崇)が、園子に求婚する。一旦は優介との結婚を決めた園子は、しかし満開の桜の下で「できない」と、声を振り絞るようにして告げる。
優介は名前のとおり優秀で優しく、誠実で正義感の強い好青年である。
が、だからこそ、優介への思いは、渉への思いと比較にならないのだ。
尊敬できる男性と、守ってやりたい男性は違う。
一度恋を知ってしまった者は、愛による結婚で幸福になることはできない。


そう、女の子が真に求めているのは、「恋愛以上の絶対に安全な何か」なのである。



尊敬できかつ守ってやりたい男性というのも存在することを、われわれはよく知っている。



31日(土) 銀座の夜は俺たちのもの♪
新年会の時間と場所が確定した。

一次会(19:00~21:00)、死ぬほど焼肉を食うことになる。

二次会(21:30~23:30)、浴びるほどワインを飲むことになる。

三次会(23:30~朝)、その場のノリで。

当日夜の銀座は俺たちのもの♪


メールは以下のようにチェーンで流した。

YT>M上、TO、DA
K西>ヤ*ピー、K吉、YS(男)
JK>S城、IWKn、ユー*ケ
K保>KM検事、U住、F森、GY
N嬢>H林嬢、YS嬢、O中


YS嬢、衝撃のカミングアウト。

「実は時々読んでます」

( ̄□ ̄;)!!

「YSって、yassii?」
「いや、知らないおぢさん」
「DAって○○くん?」
「○○はMO。DAは×××」

てめぇ、ほんと「時々」だろ。

(´-ω-)

今日22:00頃、トイレで遭ったK西は言った。
「何人ぐらいですか?」
「20人+αかな」
「すごい。。。ふじぼうさんの人徳ですね」

人徳には自信ある。人徳が皮被って歩いているようなものだ。皮から離れろ。


数日前K西に「誰がきそうなんですか?」と聞かれ、迂回読者を複数挙げたら、「わ、悪いひとたちばっかりじゃないですか。。。」。

もし「同期550人の中から人間のクズ10人集めろ」とのオーダーがあったら、間違いなく今回の参加者からその10人が選ばれる。

今後二度とこのような豪華キャストが集まることはないだろう、そう確信する。


K吉、YT、YS嬢の結婚を祝ってやろう。




アメジョ[21]
離れて暮らしている母親に、3人の息子がそれぞれ誕生日の贈り物をした。

一郎:「僕は豪邸をプレゼントしたんだ。12LDKだぞ!」
二郎:「僕はベンツをプレゼントしたんだ。運転手付きだぞ!」
三郎:「僕は話すオウムをプレゼントしたんだ。聖書から六法全書まで暗記しているし、歌も歌えるし話し相手にもなる。豪邸とベンツを合わせてもまだ足りないほど高かったんだぞ!」

しばらくして、母親からみんなに手紙がきた。

『一郎、豪邸をありがとう。でも母さんは1人であんな大きな家には住めません。掃除が大変です』
『二郎、ベンツをありがとう。でも母さんは健康のためいつも歩くようにしています。あの運転手とは性格が合わないし』
『三郎。母さん、三郎のプレゼントが一番うれしかったです。母さんのこと、本当によくわかってくれていますね。とても美味しい鳥でした』

***

仕事が終わると僕は仲間と飲み歩き、お金を使いまくったあげく仲間の家に泊まり、2日間帰宅しなかった。
日曜の夜になってやっと家に帰ると、妻のジェシカが仁王立ち。たっぷり2時間説教をしてから、ジェシカは言った。
「ねえ。もし何日も私の姿が見えなかったら、あなたどう思うの?」
「そりゃうれしいさ」

月曜日、ジェシカの姿が見えなかった。
火曜日も水曜日も、やっぱり姿が見えなかった。
木曜日になってようやくまぶたの腫れがひきはじめたのでジェシカの姿が見えた。

***

890 名無しさん

授業中、僕はぼんやり外の景色を眺めるのが好きだった。
帰ったら何して遊ぼうかとか、どこか遠くに行きたいとか、いろんなことを思いながら、窓の外ばかり見てた。
午後の授業なんかだと、ついつい寝ちゃうこともある。
隣の女子校で体育をやってたりすると、それはもう大変。
何も考えられずに食い入るように見ちゃう。
はちきれそうな太もも、のびやかな肢体、見てるだけで鼓動が高鳴った。
あのコがいいとかこのコもいいとか、もう授業中だってことなんか完全に忘れてずっと見てた。楽しかった。
でもそんなことしてると、いつも必ず邪魔が入るんだ。

「先生、授業してください」

***

※一郎とか二郎でアメリカンジョークってないよね、なんて言うのナシでよろ。



本日26日「ガラスの仮面 第43巻」発売
ガラスの仮面 第43巻

42巻は2004/12/16発売だった。
当時、ある男友達に「おい、ガラスの仮面の42巻が出たぞ!」と電話したら、「すぐ買ってきます!」と言い、2時間後「桜小路くんが携帯使ってますね」と電話が。

(;´∀`)



比較文学とは何か
内田樹氏のコラム『比較文学とは何か』は刺激的だ。

なぜ、異なる文化圏に属する文学テクストを比較照合することに「意味」があるのだろう?
なぜ「比較言語学」や「比較社会学」では不十分なのか?
なぜ「比較経済学」や「比較物理学」や「比較生理学」といった学術分野についてはほとんど語られないのか?
文字で書かれたものであるかぎり、どのようなテクストにだってそれぞれの国語の、それぞれの言語文化圏の社会制度や思考様式の特性が反映しているはずである。それを比較するのではなぜいけないのか?なぜ文学でなければならないのか?

こういう問いについて考えるのは楽しい。
以下は、その講義のために、私が例によって「直前」にかきなぐったノートである。



11.文学テクストの条件は、(ロシア・フォリマリスムの主張とは逆に)テクストに内在するのではありません。文学性とはそれが読者にもたらす「私たちは選ばれた読者であり、この社会のマジョリティを形成するものたちとは別種なのだ」というアイデンティフィケーションの「効果」のうちにあるのです。

すべてのテクストについて私たちは次のように言うことができると思います。

読者を「普遍的な存在」であると前提するテクスト(法律条文や歯磨きのマニュアルや数学の教科書)は文学ではありません。反対に、読者におのれが「独自な存在、選ばれた存在」であると確認(錯認)させるテクストが文学なのです。

文学とは、読者がそのテクストの行間に「あなたは独特な存在であり、それゆえ、あなたの属する社会集団の中で孤立し、無理解にさらされ、ときに迫害されているかもしれない。しかし、このテクストはその例外的な存在であるあなたのために書かれたのだ」という慰めと選びと共感のメッセージを見出すテクストのことです。

日本の多くの中高年男性は司馬遼太郎を愛読しています。それは司馬遼太郎が現代日本社会に対して肯定的だからではありません。むしろ司馬はきわめて激烈に現代日本社会を批判しています。それにもかかわらず、彼が「常識的」で「凡庸な」多くの読者に支持されているのは、司馬のテクストが読者に「私は現代日本においては少数派の受難者なのだ」という心地よい幻想を与えてくれるからです。

同じように、村上龍はそのエッセイで日本社会の悪口ばかり書いていますが、多くの読者に支持されています。『フィジカル・インテンシティ』はサッカーに取材した日本論でしたが、そこでの日本のおじさん、日本のメディア、日本の常識に対する痛罵はこれまでになく憎々しげなものでした。読み終えてから奥付をみてびっくりしたのは、この攻撃的なテクストが『週刊宝石』の連載コラムだったことが分かったからです。『宝石』とか『ポスト』とか『現代』とか『文春』とか『新潮』とかの非新聞系の週刊誌は、ありていに言えば、日本文化の「志の低さ」の理念型みたいな存在です。愚痴と嫉妬と憎悪うずまくこのイエロー・ジャーナリズムの愛読者たちが、村上龍を読んで溜飲を下げている図というのは、私には悪夢のように思われました。

私はそれが悪いといっているのではありません。おじさんたちに「君たちは凡人なんだから、司馬遼太郎や村上龍を読む資格がない」と言っているのではありません。逆です。凡人たちこそ、通俗性と凡庸さを誰よりも憎み、マジョリティに属する人々こそ「自分はマイノリティだ」と信じ切っているという平凡な事実を指摘しているにすぎません。

14.私たちの同時代の世界的に著名な作家たち、三島由紀夫や大江健三郎や中上健次や村上龍は、強い批判精神にドライヴされた作品を送り出しています。彼らの文学は日本社会から「排除された」人間、「周縁」にはじきとばされた人間「だけ」を扱っているといって過言ではありません。

そのような文学者の作品が「世界的に認知」され、現代日本社会を理解する上で有用であるというのはどういうことなのでしょう。彼らの作品が「現代日本社会の価値観や美的感受性の最大公約数」であるからではもちろんありません。にもかかわらず彼らの作品が(外国人読者にとっても)現代日本を理解する上で有効なのは、そこには「何が」主人公たちを「排除」し、「周縁」にはじきとばしたのか、がきわめてリアルに書いてあるからです。

20.以上のような考察から、私たちは「比較文学」という学問の特殊な性質を伺い知ることができたと思います。

比較文学とは「ある共同体が集団的に抑圧したもの」を「資料」とし、そこから「ある国語共同体に固有の世界経験の仕方」を抽出してくる学術方法だというふうに私たちは理解しています。

そのような条件をみたす限り、比較文学は「自己の思考プロセスそのものの遡行的な反省」としての哲学や、「そのつどすでに性化された存在である自己の欲望の構造の反省」としての精神分析や、「エゴサントリックな自我の拡大欲望への反省」としてのフェミニズム政治学やポスト植民地主義の政治学に緊密にむすびつき、それらと生産的な対話や論争を行いうる学知となりうる可能性をもっていると私は思います。



というようなことを二年前に書いた。そのあと、このようなものを書いたこと自体を忘れていたが、加藤周一の『日本文化の雑種性』について調べていたら、思いがけない文章に出くわした。

「私はアルベール・カミュ氏に生前一度だけ会ったことがある。それはガリマール書店の事務室のことであった。何を話したのかもうほとんど忘れてしまったが、小説についての一語だけは覚えている。『なぜ小説を書くかって?小説だけが翻訳の可能な形式だからですよ』。私はこの意見に賛成する。」

カミュ氏は、いつでもものごとを正確にみつめている。


おもしろい。たいへんおもしろい。



日馬富士の場所/大相撲初場所
朝青龍が優勝したことはどうでもよい。
たしかに17:00に間に合うよう大急ぎで事務所から帰ってきたことは認めるが、それでも今場所を、進退をかけた朝青龍が優勝決定戦で白鵬を破って涙の復活をした場所として記憶すべきではない。
今場所もやはりまた、日馬富士(安馬)の場所だった。

日馬富士は初日から4連敗してしまった。
5日目にようやく琴奨菊戦で初白星をあげたのだけれど、その相撲内容は大したものではなかった。
しかしあのとき観客から日馬富士に贈られた拍手を、われわれは深く記憶に留める。
観客がまるで日馬富士に対する愛情を我先にと表明するかのような、あのなんともいえず暖かい拍手の数と柔らかな音。

もし築地魚屋の若大将(35歳)がインタビューされたら、「いや、なんつーか、別に俺だって心配してたわけじゃねーんだ。4連敗しようが安馬は安馬よ。でもな、やっぱり勝ってくれてほっとしたのは間違いねーんだ。あんとき、俺んなかによくわかんねー想いがふっとな。幼稚園に行きたくねーって駄々こねてた息子がなんだか小さいなりになにかを決意するような顔してやっと幼稚園に行きやがったような、なんかそんな感じっていうかな。いやよく分かんねーけどよ。まわりをみても観客みんなそんな顔してるしよ。思わず安馬!って叫んで拍手しちまったんだよ」みたいな答えになるだろう。

うん、分かるよ若大将、ってなもんだ。

日馬富士は老若男女問わず観客から愛されている。それは日馬富士が相撲を、そして観客をとても大切にしており、それが観客に十分伝わっているからだ。
その全てがあの拍手によって完璧に表現されてしまった。
それはフェリーニですら嫉妬するほどの完璧さで、あのとき両国国技館には愛があふれていた。
その愛は、高見盛や豊真将や把瑠都に注がれているものとは異質の、尊敬と愛情が交じり合った大人の愛である。

「ああもう安馬のためなら何でもしてやりたい」とファンの誰もが悶えてしまうのに、しかし安馬は誰の助けも必要としておらず、「想いだけはいただきます」といった風情で一人黙々と誰よりも熱心に稽古をして強くなっており、それゆえなおさら愛が募るのである。

現代日本人は、モンゴルからやってきたこの青年によって、真実の愛とは何かを知る。


安馬っ!



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