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「わたし」は、言葉のどちらに存在するか
内田樹氏ブログ『国語教育について

国語力の低下が子どもたちの学力の基盤そのものを損なっていることについては、すでに何度か言及した。
何が原因なのかについては諸説があるが、「言語のとらえかた」そのものに致命的な誤りがあったのではないかというラディカルな吟味も必要だろうと私は思う。

「いいたいこと」がまずあって、それが「媒介」としての「言葉」に載せられる、という言語観が学校教育の場では共有されている。
だが、この基礎的知見そのものは果たして妥当なのか。

構造主義言語学以後(つまり100年前から)、理論的には言語とはそのようなものではないことが知られている。先行するのは「言葉」であり、「いいたいこと」というのは「言葉」が発されたことの事後的効果として生じる幻想である。

とりあえずそれがアカデミックには「常識」なのだが、教育の現場ではまだぜんぜん「常識」とはされていない。

私が何かを書くとき(例えばいましているように)、書き始められたセンテンスは前後の文脈や統辞上の制約や私の「書き癖」のせいで自動的に一文をなす。
そうやって自分が書いた文を私は読者になって読み返す。
読んで「なるほど」と納得することもあるし、「何か違う」と思うときもある。
たいていは「何かが違う」と思う。あるいは「何かが足りない」とか「何かが過剰である」と思う。
私はその印象にしたがって文を補綴し、あるいは削除し、あるいは加筆する。
そうやってあれこれいじりまわしているうちに「読んでそれほど違和感のない」文章が出来上がる。
この文章を「それほど違和感がない」と感じているもの、それが発話主体である。
文章を書き終えたあとにはじめてその文章を書いた人間の言語運用の「好み」がすこしだけわかる。
エクリチュールというのはそのように構造化されている。

モーリス・ブランショはこう書いている。
「作家はその作品を通じてはじめて自分の位置を知り、自分をかたちにする。作品より以前に、作家は自分が何ものであるかを知らないばかりか、何ものでもない。作家は作品のあとにはじめて存在し始めるのである。」

「いいたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める。
極端なことをいえば、「私」は「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始めるのである。
その点で私はブランショに同意する。理論的に整合的であるばかりか、実感としてその通りだと思うからである。

しかし、実際には国語教育はこれを逆転させた了解から成立している。
まず「いいたいこと」があり、それが「言葉」という不完全な表現手段を経由して読者や聴き手に到達する。そういう言語観が採用されている。その「不完全な媒介者」を遡及して、首尾良く「いいたいこと」に到達すれば「読解の成功」であるというふうにみなさん考えている。

だから、そういうしかたで「長文読解」問題は構成されている。
「作者は何がいいたいのか?」というのはもっとも頻繁に提示される問いのかたちだが、私はこの問いにどんな意味があるのかいまだによくわからない。

私自身の書いたものは現代文の入試問題に多く採用されている。
問題用紙が送られてくるので、たまにそれを読む。そして、「作者は何がいいたいのか?」という問いの前でそのつど立ちつくす。いくつかの選択肢があり、そのほとんどは誤答なのであるが、にもかかわらず私は遅疑なく選択することができない。
「私はいったい何が言いたかったのか?」
改めて考えると、私にもよくわからないからである。
もうずいぶん前に書いたものであり、私がけっこう気合いを入れた書いた文章である以上、そのときには「どうしてもこれだけは言っておかねば」というようなメッセージが生き生きとして私の内部に存在したのかもしれない。
しかし、それはあらかた消えて、今の私の中には存在しない。
でも文章は残っている。
それはまぎれもなく私の文章である。
私の好きな音韻と私の好きな字体の文字が私の好きなリズムで書かれている。
書いたことを覚えていないし、何を言いたくて書いたのかもわからないにもかかわらず、「これは私の文章だ」ということは100%の確信をもって言うことができる。

でも、これはちょっとおかしくはないだろうか?
作者自身が「自分がいいたいこと」が何だかは確信がないのに、「これは自分の文章だ」ということには確信がある。
例えば、私が二十歳のころに書いた政治的文章がある。私はその主張にほとんど共感できない。「若造が何を言ってやがる」と思う。けれど、それがまぎれもなく私の書いた文章であることはわかる。こういう文章は私しか書かないからだ。

コンテンツはもう私のものではないが、ヴィークルは今も私のものである。
ということは、「言葉」が私にとって生理過程に近い一次的なものであり、「いいたいこと」の方が副次的、派生的なものだということになる。
「言葉」の物質性はまぎれもなく私のものであるが、メッセージは極端な話どこかで聴いた誰かの話の受け売りなのである。

小学校五年生のときにはじめてエルヴィスを聴いたときに私は思わず小さく震えたが、英語の歌詞の意味はぜんぜんわからなかった。「湯煙夏原ハウンドドッグ」でも来るべきものはちゃんと「来る」のである。
そのことに「驚く」べきではないのか。

だが、国語教育はなぜか「意味」に拘泥する。作品を「作者の意図」に従属させて怪しまない。
だが、『ハウンドドッグ』の歌詞カードを読んで、「エルヴィスはこの曲を通じて何が言いたいのでしょうか?」と訊くのがまるで無意味な問いであることは誰にでもわかるであろう。
音楽の命は音の物質性のうちに棲まっている。

言語も同じである。
言語の命は言葉の物質性のうちに棲まっている。
強い言葉があり、響きのよい言葉があり、身体にしみこむ言葉があり、脈拍が早くなる言葉があり、頬が紅潮する言葉があり、癒しをもたらす言葉がある。
現実に読み手聴き手の身体を動かしてしまうというのが「言葉の力」である。
言葉には現実を変成する力がある。
そのような言葉に実際に触れて、実際に身体的に震撼される経験を味わう以外に言語の運用に長じる王道はない。言葉によって足元から揺り動かされる経験に比べれば、読みの適否なんかどうだってよいではないか。

子どものときからそのような「力のある言葉」を浴び続けることだけが重要なのである。
その経験を通じて、はじめて「諧調」とは何か、「響き」とは何か、「論理性」とは何か、「抒情」とは何かということが実感としてわかるようになる。

ある文章が論理的であるか非論理的であるかを判定するのは推論の働きではない。
論理的な文章は「気持ちがよい」が、非論理的な文章は「気持ちが悪い」。
それを判定するのはフィジカルな感受性である。
それは幼いころから美しい音楽を浴びるように聴いてきた子どもが演奏の半音のずれを「不快な音」として聴き咎めてしまうのと同じである。
論理性を身につけるためには、論理の運びが美しい文章を浴びるように読む以外に手だてはない。

「力のある言葉」を繰り返し読み、暗誦し、筆写する。
国語教育とは畢竟それだけのことである。


リアルなのは言葉だけである。
言葉の向こうには何もない。
けれども言葉は「言葉の向こう」があるという仮象をつくりだすことができる。
「言葉以上のものがある」と信じさせることが言葉の力の効果なのである。



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吉田兼好『徒然草』
(序段)
つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

(第一段)
いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かんめれ。
御門の御位は、いともかしこし。竹の園生 の、末葉まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。
一の人の御有様はさらなり、たゞ人も、舎人など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。


※日本三大随筆(鴨長明『方丈記』、清少納言『枕草子』、吉田兼好『徒然草』)



ト*タ
YW嬢からのメール


ト*タ、大変なことになっていますね・・・。
昨日・一昨日のワシントンでの公聴会中継、ずっと仕事しながらイヤホンつけて聞いてました。昨日の議会の質問の内容(なかにはホントーにアホらしい質問や、ひっかけ質問もあった)をきいていて思ったけど、選挙の年だし、景気は相変わらず悪いのでアメリカの大衆も内向き傾向が強いし、アメリカの自動車産業が衰退する中でト*タだけが一人勝ちしてきた・・という背景(逆恨み)もあるし、これは政治問題化して、長引くんじゃないかと思う。昨日今日で、ト*タの部品サプライヤーであるデ*ソーや矢*総業にもFBIの手入れが入った(別件で)とか、既に問題が本来のスケールを越えて広がりつつあるって感じがします。

昨日の公聴会、豊*さんの冒頭の英語でのスピーチは、いかにも誰かが用意したきわめて常識的なスピーチではあったけど、しっかり正々堂々と話していたし、メッセージもすっきりしてて、誠意もあるかんじで、謙虚で、比較的よかったと思った。ただ、豊*社長の質疑のこたえでは、「理解していなかった」「知らなかった」「私まで情報が伝わっていなかった。ほんとうに申し訳ない」がちょっと多すぎ(ぼんぼん社長であることがあまりにもバレバレ)、そこが情けなかったけども、とにかく素直に謝っていたのは正解だったと思う。でも、「自分は創業者の孫で全てのト*タの車に自分の名前が付いてるので・・・」という言葉は、いかにもト*タが同族経営から脱却していない田舎者の会社だと世界に言っているようで、そんなこと言わなきゃいいのにと感じました。これでは、そもそもなんのために「トヨダ」ではなく、わざと「ト*タ」という名前にしたか、意味がない。

昨日は、どちらかというと、稲葉社長のほうがしつこく責められてた(2007年からこの問題を知っていたのに、ト*タの強いロビー力ゆえに、アメリカ政府のレギュレーターと一緒になってこの問題を抑えようとしていたのではないか、ということで)。でも、昨日はとりあえず、初めての議会証言にしては(しかもすごく長丁場だったのに)最後まで割とボロも出さず、くだらない質問にも辛抱強く答え、よく頑張ってたと思う。ただ、公聴会の後に、豊*社長がディーラーたちの前で涙を流した映像が流れたのは、マイナスだったと思います。日本では、会社の不祥事で社長が涙を流して頭を下げるというのが大衆に受けがいいけども、こちらでは、「なんとなさけない・・・」というイメージにしかならず、ただでさえ、「お子さま社長」というあだ名がついてしまっているから、それをコンファームすることになっちゃった気がする。

まあそれにしても、なんというか、「メイド・イン・ジャパン=高品質」という神話の最大の砦が崩れた・・・「ジャパン・アズ・ナンバーワン」も遂にこれにて正式に終わりました・・・という雰囲気がして哀しい。確率で言ったら、今回の話なんて他社のリコールと比べたら遥かに低いとおもうけど、そういう話題に不思議なほどならない。どんなにいい車を沢山作っても、一人でも人を殺したらおしまい・・・という話になってる(ま、そりゃそのとおり)。これが中国やフランスだったらゼンゼン違う反応の仕方をしたと思う(政府が出てきて、統計をもとにして反論しただろう)。それが正しいかどうかは別問題としても。

なんといっても、これまでずっとアメリカで儲けまくってきたト*タだから、今回はもう「待ってました!」って感じで一方的な苛めモードという感じすらする。基本的な日米のビジネスカルチャーの違いとか、ト*タの社風とかまでが議論に持ち出されているし、ウォールストリートジャーナルなんて、豊*社長の子供時代にまで遡っていろいろ言いたいこといってました。

それにしても、ここまでのト*タの対応のしかたをみていると、日本おなじみの「問題を隠蔽するカルチャー」、「よきにはからえ」な殿様経営、PR下手(危機において、対応が受身過ぎる)、自己主張(プレゼン)の下手さ、交渉力のなさ・・・といったことがすべて足を引っ張っている気がする。

この信用を取り戻すのはものすごい努力(および戦略)が必要になるでしょうね。ただ「いいもの」を地道に作るだけでは、もう一度失った信用は簡単に取り戻せないと思う。特に、「安心・安全」が最大の強みだったブランド、しかも車という、人を殺す凶器になりえるものを商品にしているということを考えると特に。






結婚式で聴きたい幸せソング
女性編

1.Butterfly(木村カエラ)
2.CAN YOU CELEBRATE?(安室奈美恵)
3.キセキ(GReeeeN)
4.未来予想図 (DREAMS COME TRUE)
5.バンザイ~好きでよかった~ (ウルフルズ)


男性編

1.CAN YOU CELEBRATE?
2.Butterfly
3.キセキ
4.未来予想図
5.バンザイ~好きでよかった~


木村カエラ『Butterfly』は人生の真実を詠っている。なんて素晴らしいのだろう。


♪Butterfly 今日は 今までの どんな時より 素晴らしい

(´-`).。oO(おまけに、これからのどんな時より…)

♪赤い糸でむすばれてく 光の輪のなかへ

(´-`).。oO(赤い鎖…)

♪Butterfly 今日は 今までの どんな君より 美しい

(´-`).。oO(おまけに、こ…)

♪白い羽ではばたいてく 幸せと共に

(´-`).。oO(幸せも羽ばたいt…)

♪幸せだよと 微笑んでる

(´-`).。oO(いまだけ…)

♪太陽は沈み いたずらに星は昇る

(´-`).。oO(人生も沈み…)

(´-`).。oO(いたずらに自由は減…)

♪夜は眠り 朝を待つ

(´-`).。oO(思い出したくもない一日…)

♪悲しみあれば 共に泣いて 喜びがあるなら 共に笑うよ

(´-`).。oO(逆…)

♪夢の全ては いつまでも つづくよ

(´-`).。oO(夢なら覚めて欲…)

(´-`).。oO(…)

(。-_-。).。oO(・・・)


   ∩___∩
   | ノ      ヽ/⌒)
  /⌒) (゚)   (゚) | .|
 / /   ( _●_)  ミ/
.(  ヽ  |∪|  /
 \    ヽノ /
  /      /
 |   _つ  /
 |  /UJ\ \
 | /     )  )
 ∪     (  \
        \_)

www





Joyce
令状
warrant

放火
arson

労働組合
labor union

株主名簿
shareholder registry

名義
name
【例】…名義の(で) in the name of …

連結子会社
consolidated subsidiary company

家庭裁判所
family court


  ∧_∧
 (`・ω・´) ドミノ作るよ!!
 / o[]o
 しー-J l l l l l l l l l l l l l l l l l l



  ∧,,∧ て 
 (; ´゚ω゚)て  アッ!
 /  o[]o
 しー-J ////l l l l l l l l l l l l l l



  ∧_∧    ショボーン 
 ( ´・ω・)
c(,_U_U /////////////////


名言
 
幸福はコークスのようなもので、何か別のものを作っている過程で得られる副産物なのだ。

オルダス・ハクスリー


幸せは、目的ではありません。それは単なる副産物なのです。

エレノア・ルーズベルト



Joyce
民事執行法/Civil Execution Act

(強制執行の実施/Implementation of Compulsory Execution)

第二十五条 強制執行は、執行文の付された債務名義の正本に基づいて実施する。ただし、少額訴訟における確定判決又は仮執行の宣言を付した少額訴訟の判決若しくは支払督促により、これに表示された当事者に対し、又はその者のためにする強制執行は、その正本に基づいて実施する。

Article 25 Compulsory execution shall be implemented on the basis of an authenticated copy of the title of obligation attaching a certificate of execution; provided, however, that compulsory execution for or against an indicated party concerned based on a final and binding judgment made in an action on small claim or a judgment of an action on small claim or demand for payment with a declaration of provisional execution shall be implemented on the basis of an authenticated copy thereof.



磁場
ぼくたちは、例えば、矛盾し引き裂かれたままの状態でいることが困難で、それは、なんとなく、そう、まさになんとなくというしかない、つまりなんとなくってのは知らないうちに、誰ともいえない誰か、誰とは特定できない誰かに植え付けられた、(誰かっていってもそれは「人」ではないんだけど、「何か」っていうよりもピッタリくる)、意識下で言語化されない、なんとなく「矛盾を解消して統合へと向かう意思」みたいなものがあって、でもそれはコントロール外にあるのだから意思ならぬ意思というほうが正確で、その意思ならぬ意思は、物語的磁場が有する磁力や吸引力によって引き寄せられているだけで、(だからコントロール外なんだけど)、その磁力や吸引力というのは本当に凄くて侮れず、なんとなく持ってしまった、内面化させられた、刷り込まれた、その意思ならぬ意思に焦点を当てて楔を打ち込まないと、引っ張られて、引き寄せられて、自分で考えているつもりが実は道筋を決められてそれに沿って考えさせられているという状態に陥ってしまう。

冒頭「例えば」と書いたのは、まさに矛盾解消という方向性があくまで一例にすぎないからで、他にも例えば、人をある種の属性(血液型や出身地や性別や家族構成)のみに還元して理解したような気になりたい方向性、ある体系を超越した究極の例外的存在(神)を措定する方向性、個性や自分らしさを肯定的に捉える方向性、などなどいくらでもあり、ぼくたちはその磁力圏から完全に離脱することができない。

そのことがわかると、ひとは、一度は言葉を奪われる。

だから、ひとは、何を語るかではなく、何を語らないかによって、その非思考停止度とでも称すべきものが明らかにされてしまう。


れいによってうまく書けないんだけど、まあいいや。



Joyce
(執行力ある)債務名義
(enforceable)title of obligation

弁済
(1) performance [原則]
(2) payment
(3) delivery

正本
(1) original [副本に対する用語で、原本と同義の場合]
(2) authenticated copy [謄本の一種で、権限のある者により正本として作成されるものの場合]

縁組
adoption

親会社
parent company

外国法事務弁護士
registered foreign lawyer

解任
dismissal

恩赦
pardon【注】amnesty は主に政治犯を対象とする。


   ∧∧
  (・ω・`)
   // )
/ ̄ ̄《 ̄ ̄\
| ・ U      |
| |ι        |つ
U||  ̄ ̄||
   ̄      ̄


認知的不協和
認知的不協和(cognitive dissonance)という概念はよく知られているが、復習しておこう。
▼wiki
人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

よく挙げられる例として「喫煙者」の不協和がある。

<認知1:私(喫煙者A)は煙草を吸う>
<認知2:煙草を吸うと肺ガンになりやすい>

このとき、認知1と認知2は矛盾する。「肺ガンになりやすい」(認知2)ことを知りながら「煙草を吸う」(認知1)という行為のため、喫煙者Aは自分自身に矛盾を感じる。そのため喫煙者Aは、認知1と認知2の矛盾を解消しようとする。

a)自分の行動(認知1)の変更。
<認知3(認知1の変更) 私=喫煙者Aは禁煙する>

このように、一番論理的なのは認知1を変更することだ。認知1「喫煙」を認知3「禁煙」に変更すれば、認知2「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」と全く矛盾しない。

しかし禁煙行為は苦痛を伴う。そこで、禁煙せずに矛盾を解消するためには、認知1ではなく認知2に修正・追加を加える必要が生じてくる。

b)認知2の変更
<認知4(認知2の変更)“煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。”>
(これはアメリカの煙草会社のキャンペーンである)

b')新たな認知の追加
<認知5:喫煙者で長寿の人もいる>
<認知6:交通事故で死亡する確率の方が高い>

このように、認知5「喫煙者で長寿の人もいる」を加えれば、認知1「煙草を吸う」と認知2「肺ガンになりやすい」との間の矛盾を弱めることができる。そして認知6「交通事故で死亡する確率の方が高い」をつけ加えれば、肺ガンで死亡することへの恐怖をさらに低減することができる。


認知的不協和というのは、日常散見される愉快な現象である。
例えば、【女性編】なぜ自分に出会いがないのか、その理由ランキングは、そもそも「自分に彼氏ができないのは、出会いがないからだ」ということを前提としているが、彼氏がいないのが短期ならいざ知らず、長期に…いや…、うん、や、やめておこう、よくない御題だ。

(゚д゚)

さて、冗談はさておき、迂回読者のみなさんであれば、ふじぼうが何を言いたいかは分かるはずだ。

(現実を直視するとあまりにイタイ人生となるからだという身も蓋もない事実はひとまず措くとして、)なぜ、ひとは、矛盾を解消しようとするのか?
なぜ、ひとは、「煙草を吸うと肺ガンになりやすい」という事実を受け入れつつ泰然と喫煙するという、矛盾の中にどっぷり浸かったままでいることができないのだろうか?

明日ウプされる。


余事。
どうでもいいことだけど、ひとは、過剰なこと=不健康なことをするために健康でいる必要があるのだとヘビースモーカー内田樹も言うように、健康そのものを目的とした人生というのは明らかに不合理である。

以前、迂回で「肺ガンで死ぬときは、『くそー!タバコなんか吸うんじゃなかった!』と言って死んでいきたい」と書いたが、融通無碍とはまさにこのような境地を指すのであって、「タバコなんて体に悪いって分かってるのにどうして吸うの?」だとか「分かって吸ってるんなら肺ガンになっても後悔なんてしちゃだめよ」だとか、どうして、ひとは、そこまで無粋になれるのだろうか、と、つまり、このエントリ全てが『弁解』であることは明らかです裁判長。

(;´Д`)y─┛~~



Joyce@
President Obama's Inaugural Address

Our challenges may be new. The instruments with which we meet them may be new. But those values upon which our success depends - hard work and honesty, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism - these things are old. These things are true. They have been the quiet force of progress throughout our history. What is demanded then is a return to these truths.

What is required of us now is a new era of responsibility - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task.

我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった昔馴染みの価値観にかかっている。これらは真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。





アメジョ
ある老人は何年もの間、耳がほとんど聞こえない状態だった。
ところが医者の勧めで補聴器をつけると、老人は日常は100%問題なく耳が聞こえるようになった。
老人はとても喜んだ。
それから約一ヵ月後。
「あなたの聞き取りはもう完璧ですよ。ご家族もあなたが聞こえるようになってさぞやお喜びでしょう。」
「ああ、実はまだ家族には言っておらんのだ。」
老人はなぜか肩をおとしていた。

「その辺に普通に座って家族の話に耳を傾けておる。あれから遺書を3回も書き換えたよ」

***

あるアメリカ人の脳に腫瘍があることが分かった。
おまけに大きすぎて手術もできないとのことだった。
残された道は脳移植しかない。

担当医の説明によると、
日本人の優秀な技術者の脳は 50ドル/100g
イギリス人の由緒ある貴族の脳は 60ドル/100g
アメリカ人の脳はなんと 13,000ドル/100g

怒り狂ったアメリカ人が言う、
「それじゃ、ボッタクリでしょうが。何でアメリカ人の脳がそんなに高いの?」

医者が答える、
「あなたね、100g の脳を集めるのにアメリカ人が何人いるか分かってますか?」




Joyce
民事再生法/Civil Rehabilitation Act

第一条 この法律は、経済的に窮境にある債務者について、その債権者の多数の同意を得、かつ、裁判所の認可を受けた再生計画を定めること等により、当該債務者とその債権者との間の民事上の権利関係を適切に調整し、もって当該債務者の事業又は経済生活の再生を図ることを目的とする。

Article 1 The purpose of this Act is, by formulating, for debtors in financial difficulties, rehabilitation plans as consented to by a number of their creditors and confirmed by the court, to appropriately coordinate the relationships of rights under civil law between such debtors and creditors, with the aim of ensuring the rehabilitation of the debtors' business or economic life.


※連邦倒産法 第11章
▼wiki
アメリカ合衆国連邦倒産法の第11章(Chapter 11; Reorganization)のことを指し、ひいては当該条項に基づき行われる倒産処理手続をさしていう。略して単にChapter 11(チャプターイレブン)と呼ばれることがある。新聞・テレビ等で「11章」ではなく「11条」と訳されることがあるが、適切ではない。

再建型倒産処理手続を内容とするものであり、債務者自らが債務整理案を作成し債務者主導の再建が可能である(いわゆる「DIP型」)点で、日本でいう民事再生法に相当する。コーポレーションに適用されることが想定された再建型倒産処理手続という意味で、日本の会社更生法に相当すると言われることもあるが、制度内容としては民事再生法が近い。

なお、本章は個人債務者にも適用可能であるが、手続の複雑さと費用の点からほとんどの場合個人への適用は実務的ではなく、ほとんどの場合個人債務者は第13章に基づく債務整理を選択する。


※DIP:Debtor in possession/倒産時の経営陣が倒産手続において引き続き経営することを指す法律用語

Creating Value Through Corporate Restructuring: Case Studies in Bankruptcies, Buyouts, and Breakups (Wiley Finance)


 (⌒) .(⌒)   (⌒) .(⌒)
 ( ´・●・)つ ( ´・●・)つ
 ( 二つ    ( 二つ 
  \./ /、    \./ /、
    ∪`J      ∪`J



快楽の果てには
このままで歩いていけるなら そうすればいい
でも私から見て 一キロ先で転ぶだろうね

そしてこう言うんでしょ 「あんなの誰にもよけられぬ石さ」
でも私から見て 君の靴ひもが緩すぎたんだ

快楽の果てには哀しみが待ってる
それでも進む覚悟はあるかい
覚悟はあるかい
私は怖い


矢井田瞳『キャンドル』

  



JFが入籍♪
おめでとうございまーす。
(腰パン的真摯性欠如風w)

はやくボスに報告せいよ。

お相手は別のバンドの女性なのかしら。

(´-`).。oO(そういや「ふじぼうさんには大きな借りがあるのでご馳走します!」と言われてから1年以上が経つけど……結婚祝いと相殺……民法508条……ww)


    /''⌒\
  ,,..' -‐==''"フ  /
   (n´・ω・)η  ヤッホー!
   (   ノ   \
   (_)_)
    ~"''"""゛"゛""''・、
"”゛""''""“”゛゛""''' "j'
:::::ヘ :::::....ヽ :::;;;ノ  ::(
::  ゝ  :::::......ノ:;;..:::::::ヽ


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