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芭蕉
月日は百代の過客にして行きかふひともまた旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。(『奥の細道』)

芭蕉庵ドットコム/現代語訳)

月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処(すみか)としているようなものである。古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる。わたしもいくつになったころからか、ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、漂泊の思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、去年の秋は、隅田川のほとりのあばら屋に帰ってクモの古巣を払い、しばらく落ち着いていたが、しだいに年も暮れて、春になり、霞がかる空をながめながら、ふと白河の関を越えてみようかなどと思うと、さっそく「そぞろ神」がのりうつって心を乱し、おまけに道祖神の手招きにあっては、取るものも手につかない有様である。


秋深き 隣は何を する人ぞ

古池や 蛙飛びこむ 水の音

名月や 池をめぐりて 夜もすがら

ほろほろと 山吹散るか 滝の音

名月や 北国日和 定めなき

あかあかと 日はつれなくも 秋の風

夏草や 兵どもが 夢の跡

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

一家に 遊女も寢たり 萩と月

五月雨を あつめて早し 最上川

雲の峰 いくつ崩れて 月の山

野ざらしを 心に風の しむ身かな

旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る (辞世の句)



おくのほそ道 (英文収録)』ドナルド・キーン

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