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今年を振り返る
つもりだったのに、リリー・フランキー発言集520選で笑いころげて、「ああ、いい一年だったなぁ」となってしまいました。


クンニは情報の海だよ。クンニするとその人のことが全て分かるよ

リリー・フランキー


( ´∀`)ははは


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夕方老眼
▼ディスプレイなどを長時間見つめ続けていることによって眼のピントをあわせる調節力が低下していき、夜が近づくにつれてパソコン画面が見えずらくなると訴える人々が増えている。これが最近「夕方老眼」と呼ばれている現象である▲

(ノ∀`)アヒャー

年末ラスト1週間くらいがまさにそういう状態で、夕方になると目が霞むようになって。

決めた。

来年からは、健康のため、午後3時以降は一切仕事しない。うん。

(あ、例によってラオウ風に拳を、こう、ぐっとね、天にむけて)


Seven Digital Media Trends of 2011

1. Print media Goes to the Tablet
2. The Digital Talent Pool
3. Deal Hunters
4. Mobile Momentum
5. Social Nets Deliver Qualified Traffic
6. Power to the People
7. Target Power


かつてない盛り上がり。究極のバストの谷間を実現するブラジャー『谷間ッX(タニマックス)』発売

1月3日(月)26時45分、フジTVで『30 Rock / サーティー・ロック』が放送開始。
(『アリーmyラブ』でアリーの秘書エレイン役をやったJane Krakowskiが出てんな)




このマンガがすごい! 2011
2008年12月31日、迂回で『このマンガがすごい!2009』(PC) (携)を。

オトコ編/1 聖☆おにいさん/2 宇宙兄弟/3 GIANT KILLING/4 3月のライオン/5 深夜食堂/6 きのう何食べた?/…
オンナ編/1 坂道のアポロン/2 駅から5分/3 ちはやふる/4 君に届け/…


二年もの雌伏の時を経てw、今宵2010年12月30日『このマンガがすごい! 2011』(12/10発売)。

オトコ編
1位 進撃の巨人 諫山創
2位 テルマエ・ロマエ ヤマザキマリ
3位 さよならもいわずに 上野顕太
4位 ONE PIECE 尾田栄一郎
5位 鋼の錬金術師 荒川弘
6位 乙嫁語り 森薫
7位 ドリフターズ 平野耕太
8位 バクマン。 大場つぐみ・小畑健
9位 アイアムアヒーロー 花沢健
10位 惡の華 押見修造
11位 宇宙兄弟 小山宙哉
12位 虫と歌 市川春子
13位 GIANT KILLING 綱本将也・ツジトモ
13位 鉄風 太田モアレ
15位 キングダム 原泰久
16位 青の祓魔師 加藤和恵
17位 弱虫ペダル 渡辺航
18位 俺は生ガンダム 羽生生純
19位 森山中教習所 真造圭伍
20位 3月のライオン 羽海野チカ

オンナ編
1位 HER ヤマシタトモコ
2位 ドントクライ、ガール ヤマシタトモコ
3位 海月姫 東村アキコ
4位 ちはやふる 末次由紀
4位 夏雪ランデブー 河内遥
6位 大奥 よしながふみ
7位 ウツボラ 中村明日美子
8位 潔く柔く いくえみ綾
9位 君に届け 椎名軽穂
10位 町でうわさの天狗の子 岩本ナオ
11位 となりの怪物くん ろびこ
12位 ストロボ・エッジ 咲坂伊緒
13位 テレプシコーラ/舞姫 第2部 山岸凉子
14位 ガラスの仮面 美内すずえ
15位 失恋ショコラティエ 水城せとな
16位 海街diary 1 蝉時雨のやむ頃 吉田秋生


オンナ編の1位と2位を独占したヤマシタトモコについて、小田真琴がcyzo womanの連載『まんが難民に捧ぐ、「女子まんが学入門」』第17回「自己愛、自意識にまみれた独りよがり女を描く『HER』」で書いてる。

どうにもこうにもピンと来ません。当時マンガ業界の周辺には「中村明日美子の次はヤマシタトモコ」的な雰囲気はありました。が、分からない。私の『HER』の第一印象は「幼い」でありました。

問題はおそらく「自己愛」と「自己否定」のサジ加減なのです。エンタテインメントとして考えたとき、そのいずれかだけでは見苦しく、バランスが良すぎては物語にする意味がありません。その点において私が偏愛するオムニバス作品集は、よしながふみ先生の『愛すべき娘たち』、雁須磨子先生の『いばら・ら・ららばい』、近藤ようこ先生の『見晴らしガ丘にて [完全版]』の3冊です。『HER』を読んで女性向けのマンガってこんなもんなの?と思った方はぜひこの3冊を読んでください。女子マンガの別の地平が、きっと見えてくるはずです。


某bitchから読むよう命ぜられた『愛すべき娘たち』。
法律を教える大学講師が巨乳学生から押し掛けフェラでヌカれるという羨ましい第2話はさておき、第3話で若林莢子はどうして不破龍彦とファックもせず修道院に入るのか疑問無しとしないが、その会話のなかでビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』を出してしまうセンスは秀逸。







A bitch knows that solitude is fine.
『臨界点。サルトルとカミュ』(PC) (携)で内田樹氏の言葉を引用した。

すぐれた書物は私たちを見知らぬ風景のなかに連れ出す。その風景があまりに強烈なので、私たちはもう自分の住み慣れた世界に以前のようにしっくりなじむことができない。そうやって、さらに見知らぬ世界に分け入るのだけれど、必ず「あ、ここから先は行けない」という点にたどりつく。そして、ふたたび「もとの世界」に戻ってきたとき、私たちは見慣れたはずの世界がそれまでとは別の光で輝いているのを知るのである。
若い人に必要なのは、この終わりなき自己解体と自己再生であると私は思う。愛したものを憎むようになり、いちどは憎んだものを再び受け容れる、というしかたで、私たちは少しずつ成長してゆく。


『it's never quite the same again』(PC) (携)ではサンデル教授の言葉を引用した。(あ、同エントリでも上記『臨界点』を引用してるな)

Philosophy estranges us from the familiar. Not by supplying new information, but by inviting and provoking a new way of seeing. But... and here's the risk. Once the familiar turns strange, it's never quite the same again.
(哲学は私たちを慣れ親しんだものから引き離す。新しい情報をもたらすことによってではなく、新しいものの見方を喚起することによって引き離すのだ。しかし、ここにもリスクがある。慣れ親しんだものが見慣れないものに変わってしまえば、それは二度と同じものにはなりえない。)


何人かのbitchを知っている。
bitchとは「とびっきりの知性と感性を備え、キハンを内面化していない女」のことだ。

bitchは、必ず変容を経験しており、「慣れ親しんだものが見慣れないものに変わってしまえば、それは二度と同じものにはなりえない」ことや「愛したものを憎むようになり、いちどは憎んだものを再び受け容れる、というしかたで、私たちは少しずつ成長してゆく」ことを知っている。必ず、だ。

だから、bitchの目は哀しみを湛える。それは茨木のり子の“湖”(PC) (携)のことで、つまり、孤独を知っているということだ。
孤独と淋しさは似て非なるものじゃなくって似ても似つかぬ別物であって、孤独ってのは“一人は賑やか”(PC) (携)なことだ。“it's never quite the same again”を知ったのなら、孤独を知るのは必然である。
(淋しさは、誰もが知る感情だ。孤独でない人も、孤独を知る人も)


Solitude is fine, but you need someone to tell you that solitude is fine.

Honore de Balzac



calling
たとえば江川卓は毎試合前夜、翌日の試合(一回から九回まで)のシミュレーションを2度してから就寝した。
たとえば武豊は重要なレース前夜、翌日のレースのシミュレーションを何度も繰り返して、それを忘れてから寝る。
たとえば羽生善治は重要な対局の前日は“自分の余白部分を増やすため”に何もしないものの、前々日まで(対局相手とのシミュレーションも含めて)研究をする。

彼らだけではなく、勝負事に関わるトップの人間に共通するのは、膨大なデータを頭に詰め込み続け、徹底的にシミュレーション(思考)し、それを全て忘れて頭をからっぽにして(つまり自らの心技体を信じて)当日を迎えることだ。

スポーツ選手や棋士のようにその勝負を観戦する不特定多数の人間が存在して初めて自分達の存在価値があるという職業ではないにもかかわらず勝負事に日常的に従事するという職がある。

うむ。




名言
 
オレたち男や 年寄りは 大人になってしまった今は 誰かに抱きしめてもらう事なんて もう 二度と望めない
――が… 時にはやっぱり子供の時みたいに自分より強い腕で 高く抱き上げて欲しい時があるんだ
子供の頃 親父やおふくろに そうしてもらったように…

真山(『ハチミツとクローバー』羽海野チカ)



笑い飯の優勝は、日本国民の総意に基く。
2002年の第2回M-1グランプリで初めて決勝に進出した笑い飯は、最終的に9年連続で決勝進出を果たすことになるのだが、その成績は、3位-2位-5位-2位-4位-5位-4位-2位-1位(優勝)と、6位以下になったことがない。

笑い飯は西田幸治を、スリムクラブは真栄田賢をと各組が異形を抱えており、それが我々に衝撃を与えるわけだが、笑い飯の成績の安定感は、異形としては一見奇妙なように思える。

アンタッチャブルが第3回M-1グランプリで敗者復活戦から勝ち上がって最終決戦に進出し(3位)、その翌年に“化けて”他組を圧倒したのと同じように、仮に今年ジャルジャルが最終決戦に選出されていたらその後間違いなく化けることになったはずであると断言してもよいが、そんな彼らとは対照的に、笑い飯はその初登場以来、洗練はされても、化けてはいない。化けて生まれてきた異形は、そもそも化けることが不可能なのである。
奇妙な安定感は、異形の宿命といえる。

だから、笑い飯の優勝は、原理的に初登場の第2回においてのみ可能であったといえようし、スリムクラブもやはり今後化けることはあり得ないがゆえに彼らが優勝するチャンスもまた(仮に来年以降M-1が継続されたとしても)今年しかなかった。

そして、今年スリムクラブを優勝させることは十分に可能であったし、もしそのような結果になっていてもぼくが異議を唱えることはなかっただろう。

しかし、ここで考えてみる必要がある。
今年スリムクラブに優勝させる、つまり笑い飯を優勝させないということは、審査員がM-1グランプリ10年の歴史から何かを学んだということを証明しはしたであろうが、年中行事の如く毎年末ただ淡々と異形であることを示し続けてきた笑い飯に対する我々の深い敬意及び謝意を表明する機会を審査員が奪うことになりはしなかっただろうか。そしてそのような権利を奪われてしまった我々がスリムクラブに対して潜在的にすら敵意を抱かなかったはずだと一体誰が保証できようか、ということを。

異形の安定に敬意を払う、それは、天皇制を維持し続ける我々日本国民に心髄として存在する。

優勝者を選択する際、苦渋の表情を浮かべながらも自身はスリムクラブに一票を投じつつ、島田紳助は松本人志のボタンを勝手に押して笑い飯を優勝させたとの巷間の噂が真実なのだとすれば、我々は島田紳助を、笑い飯、スリムクラブ、M-1、お笑い、そして日本国民を同時に救った救世主として扱うべきであり、同時に彼はそのことによって10年の長きに渡りその顔にぺたっと貼りつかせ続けた恥辱をようやく最期に拭ったのだと解釈する以外に、どのような解釈が可能なのだろうか。

大相撲の立合いを初めて観たフランスの前衛芸術家ジャン・コクトーが思わず呟いてしまったように、「バランスの奇跡…」と、島田紳助及びそのとっさの行為を畏怖することが許されこそすれ、戦犯として罵倒するなんぞ世界に冠たる超成熟国家の民として決してあってはならぬ非文明的振る舞いである。

ガジェット通信「『M-1』で優勝にふさわしいと思うのは?」の結果が、34.6%笑い飯、16.2%スリムクラブと出たことからも分かるように、笑い飯の優勝は、日本国民の総意に基くものである。


参照条文。
日本国憲法 第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


『ネタバレ/M-1グランプリ』(PC) (携)に追記。




「地図を燃やす」
JMM『NEW YORK, 喧噪と静寂』で肥和野佳子が「小澤征爾カーネギーホール~サイトウ・キネン・オーケストラと渾身のコンサート」を書いてて、「ああ、これは絶対にYW嬢行ってるな」と思ってメールしようとしてたらFacebookに「行った」と書いてて、「やっぱりか!」とコメントしたら、メーリスで返ってきたので引用。

ふじぼうくんからつっこみがあったので、下記みなさまにも。

先週、カーネギーホールで小澤征爾が指揮する姿を2回見てきました。
日本でもさんざん報道されているみたいですが。土曜の晩(最終日)は、90分の大作「戦争レクイエム」を、最後まで指揮しきりました(途中に予定外の30分の休憩を入れたので、きっと一杯一杯だったんだと思う)。
初日同様、いつもの「小澤スタイル」で、楽譜は譜面台におくことすらせず、すべて暗譜でやってました。初日よりも、最終日のほうがむしろ元気に見えた。聴衆のバイブが伝わって、エネルギーを貰っていたのかも。

これ、NYTのレビュー。(1)(2)

この元気なら、来年4月のカーネギーホール(アルゲリッチとの共演)も実現できるのではないかと思い、一応券買っとくつもりです。

下記、初日の晩のわたしの感想。
***
今晩、カーネギーホールにいってきました(当日ギリギリで「裏口入学」で、主催の野*證券がリリースした券がまわってきた)。日本のテレビ局がいーっぱいきてましたので、日本でも報道されていることと思います。

小澤さんの指揮する姿は、ボストンでもニューヨークでも今まで何度か見てきましたが、このたびは見るからにやせ細って、まっすぐ立っていることもしんどそうでした。
ただ、まさに命がけというか、もうこれで死んでもいいと思って、文字通り身を削ってやっている人ならではの気迫があり、独特な凄味というか、体を張って勝負に挑む老闘牛士さながらの雰囲気も醸しだしていました。
体力がない分、気合で乗り切ったという感じです。見ている側にもその必死さが伝わってきて、格闘技を見ているような、手に汗握る45分間でした。

ブラームスのシンフォニー1番の冒頭は、いつ聴いてもうわーっと鳥肌が立つような、不思議な何かが近づいてくるような妖しいメロディですが、今日は、なおさらそういう感じがし、ドキドキしました。
小澤さんは、時々、目だけで指揮をしてました。腕を動かさず、ただ演奏者を見つめて眼力だけで伝えるみたいな瞬間がけっこうあった。これがまた印象的でした。

サイトウキネンのテクニックは、ちょっとパラパラしているところが目立ち、安定感がなく、正直言って「残念!」という部分が多かったんだけど、それでも最初の2曲(下野さんが代理で指揮をした)に比べると、最後のブラームスは、小澤さんに乗せられてか、ずっと面白い演奏でした。

疲れたらいつでも座れるように指揮台の上に椅子が用意してあり、時折り腰掛けながらやっていたのだけど(第三楽章などはかなりしんどそうに見えた)、最終楽章はほとんど途中で座ることもなく、音楽の流れに乗って(激しい、座って指揮というわけにもいかないだろう・・・という音楽なので)、最後の力をふりしぼって、勢いで一気に駆け抜けたという感じでした。マラソンランナーの最後の数マイルのような。

昔、舞踏家の大野一雄が私の元職場****の舞台で踊ったのを見た時(当時、彼は既に余裕で90歳を超えていた)、音楽が止まると弱弱しくやせ細ったタダの老人に戻ってしまうのに、アンコールで音楽がまた鳴り始めるといきなりスイッチが入ったかのように踊りだしてしまう・・・という様子を見た時のことを思い出しました。
同じ日の昼間、エレベーターでたまたま大野さんと一緒になったときは、まっすぐに立っていることも難しいという様子だったから、「この人、これで今晩ほんとに踊れるの~?」と思っていたので、その変貌振りを見て、体の底まで染み付いた芸人魂だな~と思いました。

なにはともあれ、第一日目が何とか無事に終えられて、大喝采で、本人はさぞかし指揮者冥利に尽きたと思います。
小沢さんは演奏後、舞台の上を歩き回って、いろんな楽器の担当者ひとりひとりと握手し、抱き合い、肩を叩き言葉を交わすのがとりわけ好きな指揮者ですが、今日も演奏後それにかなりの時間を費やして、でもやはり疲れたらしく、途中で座り込んだりしていました。「まいった!」「つかれたよ!」というかんじで。でも、走りぬいたランナーさながらのいかにも嬉しそうな、すがすがしい顔をしていて、ああ幸せな人だなあと思いながら見ていました。今晩この場にいられて良かったと思ったし、いいものを見ました。

昔、若き日の沢木耕太郎がまだ若かった小沢さんにインタビューした文で「地図を燃やす」というタイトルのものがあります。小沢征爾が「人間、30歳までは何でもできると思っている。ところが30をすぎると自分に可能なことが地図のようにはっきり見えてくる」という風にインタビューの中で話した、そこからとられたタイトルです。
その後、沢木さん自身も30を過ぎ、小沢氏の言葉どおりの生々しさで地図が浮かんできたというのですが、「だが、前に進もうとすると、見えていたはずの地図の道が陽炎のように消えていた」。「40代に入った小沢に再び会った時、そんな話が聞けるのではないかという幻想がある。どうしたら脳裏に浮かぶ地図を燃やし尽くせるのだろう・・」というふうに沢木さんは締めくくっていました。

今日、75歳の小沢征爾を見ていて、もう随分前に読んだはずのこの話を思い出して、今のこの人だったらどう言うのかな~と思いました。自分の人生に結局のところ地図なんてなかった、想像もしない道の連続だったと言うでしょうかね。

私はボストンに住んでいた頃、BSOもタングルウッドもちょくちょくいっていたので、小澤征爾はなんとなく勝手に身近に感じてきました。一度、タングルウッドのオザワ・ホールでコンサートがあって、コンサートが終わって振り返ったら私の真後ろに小澤さんがお客として座っていたということもありました。もう15年位前だけど、髪の毛もまだまだ真っ黒で元気はつらつ、Tシャツ着て頭もボサボサだったけど、それでも華があり、オーラがでてました。
その当時は、小澤さんの息子さんがボストンのニューイングランド音楽院に留学していたので、よくボストンのイベントにも来てた(当時、アナウンサーの故・逸見政孝の息子さんもボストンに留学しており、二人の息子は仲が良く、しかも二人ともカッコよかった)。

サイトウ・キネンの演奏はあと3日あり、私は最終日にもう一度見に行きます。
その日は休憩なし90分のへヴィーな長編曲(ブリテンの「戦争レクイエム」)なので、途中で倒れないかな~って心配ですが、ここまで来たからには最後までがんばって、本人が満足できる結果を出してもらいたいです。
休憩のあいだレセプションに行ったら、建築家の坂茂さんや、メトロポリタン・オペラの総支配人のピーター・ゲルブなども観客として来ていました。

小澤さんは横須賀でも公演が決まっているみたいですね。私の中学時代の友達が一人横須賀芸術劇場で仕事をしているんだけど、その話をしてました。来年早々だと思います。
以前読んだ『僕の音楽武者修行』が実家にあるので、このたび年末年始に帰ったら読み返してみようと思います。例のブザンソンのコンクールに参加するため、単身スクータとともに貨物船でフランスへ向かった時からわずか数年後に故国に錦を飾るまでの疾走ぶりを描いているやつです。

明日は、メトロポリタン・オペラでヴェルディの「ドン・カルロ」を見ます。新プロダクションで、4時間半です。7時に始まって、終わるの12時近くです。せいぜい寝ないようにがんばりたいとおもいます・・・・。





Brahms: Symphony No. 1 / Simon Rattle · Berliner Philharmoniker





ネタバレ/M-1グランプリ
(まだ録画を見てない方は読まないよう)

笑い飯の優勝に異議はない。
10年間のM-1グランプリで一番の衝撃は笑い飯の登場だったんだから、長期の貢献度で優勝、ま、よい。嬉しい。おめでとう。

スリムクラブはここ10年で二番目の衝撃。もしも去年出てきてたら、今年はツッコミの進化によって優勝してた可能性がある。

決勝ファーストラウンドのパンクブーブーは間違いなく今日一番面白かった(「兄ちゃん」のとこは圧巻で茶吹いた)。が、最終決戦のネタ、あれはないよ。でも許す。

問題は、ジャルジャルの扱い。8位はないだろ。あいつらがやったのはメタ漫才であってコントじゃない。(ってかそもそもコントOKルールだろ)
スリムクラブ同様、「もう一回見てみたい」と思ったのはジャルジャルだった。

テレ朝は責任をとって、年明け早々にでもM-1特別編として、スリムクラブとジャルジャルの勝負をさせるべきだ。

さて、10年のM-1グランプリは閉幕したが、最も面白かった漫才を「優勝時のネタ」順で挙げると、こうなるか。
1.アンタッチャブル(2004)
2.ブラックマヨネーズ(2005)
3.サンドウィッチマン(2007)

<番外>
・第2回と第3回の西川きよしの司会。あの全く空気を読めないスベり続けを見てるこっちの寿命はかなり縮まった。
・第3回以降の司会今田耕司と審査委員長島田紳助、彼らの顔にべったり貼り付き続けたあの奇妙な「恥」、あれは間違いなく松本人志の呪縛のなせる技で、唯一の救いは松本の呪縛圏とは無縁の中田カウスの存在だった。
・ラサール石井は最後まで審査員として出すべきだった。渡辺正行ではなく。


Fatboy Slim 『Because We Can』



“こころ”とは?
橘玲の最新刊『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』は面白かった。けれど、進化心理学に依拠しすぎじゃないか。理論って、いろんな事象を説明するのに便利な道具、くらいの認識じゃないと、安易に着地しちゃってイクナイ。斎藤環だって「ラカンの理論は『便利で使い勝手がいい』のだ」と。「お金は使うものであって、使われてはならない」って言われるのに、理論については同じように言われない。おかしい。同じなのに。(ちなみに“論理”ですら同じだ)

面白かった箇所から抜粋。

こころとはなにか?
イギリスの心理学者ニコラス・ハンフリーは、この謎にものすごくシンプルなこたえを見つけた(『内なる目』)。
相手の気持ちを映す鏡を自分のなかに持つこと。これがこころの機能だとハンフリーは考えた。
そして、ぼくたちは相手のこころを日常的に読み取っている。そこから自分のこころを構成する。この高度化したシミュレーション機能が自意識、つまり「私」なのだ。


ふむ。難しいな。。。



『Merry Christmas Mr.Lawrence-FYI』Utada




女医に教えてもらおう
Amazon: Best Books of 2010
<和書>
1.『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』岩崎夏海
2.『女医が教える 本当に気持ちのいいセックス』宋美玄
3.『1Q84 BOOK 3』村上春樹
4.『マネジメント - 基本と原則』P・F. ドラッカー
5.『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル
6.『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』ティナ・シーリグ
7.『体脂肪計タニタの社員食堂 500kcalのまんぷく定食』
<コミック>
1.『鋼の錬金術師 27』荒川 弘
2.『よつばと! 10』あずま きよひこ
3.『テルマエ・ロマエ I』ヤマザキマリ
4.『ONE PIECE 60』尾田 栄一郎
5.『新世紀エヴァンゲリオン 12』貞本義行
6.『とある科学の超電磁砲 5』鎌池 和馬
7.『けいおん! 4』かきふらい
8.『聖☆おにいさん 5』中村光
9.『のだめカンタービレ 24』二ノ宮知子
10.『もやしもん 9』石川雅之

30 of the Hubble Telescope’s Greatest Pictures!
こないだ再放送してたNHKスペシャル『ハッブル宇宙望遠鏡/宇宙の始まりに挑む』は本当に面白かった。
感想:宇宙ってエロい。

12/31 16:00~18:05 TOKYO MX 『鉄コン筋クリート』

どなたかこういうウェディングドレス着て結婚式やって下さい。おながいしまつ。

食べログranking2010
ベストレストラン
ベストラーメン
ベストスイーツ

Natural Disasters (30 pics)
( ´∀`)スゲッス






贈与 donation
内田樹氏ブログ「自立と予祝について

私たちは自分が欲するものを他人にまず贈ることによってしか手に入れることができない。

それが人間が人間的であるためのルールです。今に始まったことではありません。人類の黎明期に、人類の始祖が「人間性」を基礎づけたそのときに決められたルールです。親族の形成も、言語によるコミュニケーションも、経済活動も、すべてこのルールに準拠して制度化されています。

繰り返します。私たちは自分が欲するものを他人にまず贈ることによってしか手に入れることができない。

祝福の言葉を得たいと望むなら、まず僕の方から「あなたにはいつまでも幸福でいてもらいたい」という言葉を贈らなければならない。まず贈与するところからすべては始まる。

というようなことを書くと、「贈与するも何も、僕は赤貧であって、他人に与えるものなんか、何もありません。それよりまず僕に何かください」と口を尖らせて言う人が出てくるかも知れません。
でも、残念ながら、「そういうこと」を言う人は、その言葉によって自分自身に呪いをかけていることに気づいていない。
そういう人はそのあと仮に赤貧から脱することができたとしても、「私は十分に豊かになったので、これから贈与をすることにしよう」という転換点を見出すことができません。いつまでも「貧しい」ままです。そこそこの生活ができるようになっても、「世の中にはオレより豊かなやつがいっぱいいるじゃないか(ビル・ゲイツとか)。贈与なんて、そいつらがやればいいんだよ。オレには家のローンとかいろいろあるんだから・・・」そういうふうにしか言えなくなってしまう。
それが「まず僕に与えてください」と言ってしまった「自分に対する呪い」の効果なのです。

他人に贈与しない人は誰からも贈与されることがない。その人は自分が必要とするものをすべて自分で手に入れなければならない。

自分は誰からも贈与なんか受け取ったことはない、だから誰にも贈与しない、というふうに考える人は、つまり「受け取るだけで、次にパスを出さない人」は贈与と返礼のサイクルからしだいに押し出されて、周縁の「パスの通らないエリア」に位置づけられることになります。もちろんそこでも基本的な社会的サービスは受けられます。でも、その人宛てのパーソナルな贈り物はもう誰からも届かない。

ですから、「自分は貧しい」と思うなら、そのような人こそ贈与と返礼が活発に行き交っている場に身を置くべきなのです。どれほどわずかであっても、手持ちの資源を惜しみなく隣人に贈る人はこのサイクルにおける「ホット・ポイント」になります。贈与と返礼のサイクルはこの「ホット・ポイント」に資源が集中するように制度設計されています。

それはボールゲームで「受け取ったボールをワンタッチで予想外の多彩なコースにパスするファンタスティックなプレイヤー」のところにボールが集まるのと同じ原理です。受け取ったボールを決して手離さないプレイヤー、受け取ったボールをつねに同じコースにしかパスしないプレイヤーにはそのうち誰もパスしなくなる。

いつもの話だけれど、この考え方がいつか常識に登録されるまで、私は同じ話を繰り返すつもりである。



『Merry Christmas Mr.Lawrence』坂本龍一







うわさのリボンブラ体操
ワコールLALAN「うわさのリボンブラ体操」CF


Google 年間検索ランキング 2010「総合
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風で吹き飛ばされるマガモ親子たちの行進『Ducks blown off their feet by the wind』、めっさカワユスw


2011年1月13日(木)24:45~/フジテレビ/アニメ『フラクタル
※ストーリー原案は、なんと東浩紀(PC) (携)
(フラクタル[wiki]:フランスの数学者ブノワ・マンデルブロ (Benoît Mandelbrot) が導入した幾何学の概念。図形の部分と全体が自己相似になっているものなどをいう)

日本のYouTubeで再生回数が多かったミュージックビデオトップ10
1位:AKB48/ポニーテールとシュシュ
2位:Perfume/ナチュラルに恋して
3位:AKB48/ヘビーローテーション
4位:Perfume/不自然なガール
5位:FUNKY MONKEY BABYS/涙(2010 ユーキャン CMソング)
6位:Perfume/VOICE
7位:Lady Gaga/Telephone ft. Beyonce
8位:植村花菜/トイレの神様
9位:少女時代/Oh!
10位:AKB48/涙サプライズ !

Manhattanhenge Miracle (33 pics)
▼This spectacular miracle you can see on these pictures is known as the unique urban phenomenon of Manhattanhenge. It's when the sun sets over New York City and all the streets on the city grid are illuminated similar to the solstice at Stonehenge. This happens twice a year and coincides with the spring and autumn equinoxes. The scenes are truly beautiful and miraculous.▲


『クリスマス・イブ』山下達郎



美意識
今年9月に出版された羽生善治&茂木健一郎『自分の頭で考えるということ』。

茂木「羽生さんが将棋を指す上で『美意識』はどういう位置づけなんですか?」
羽生「美意識はものすごくあります。(略) 最も美意識が強いのは谷川浩司さんです。対戦していてわかるんですけど、谷川さんという人は指し手にものすごく制約があるんです。自分の美意識ではこの手は指せないし、この手も指せないし…という制約がすごくたくさんある。だから強いんです。普通は『だから弱い』はずなんですけど。」



茂木「その、三十手先を読み切るというのはよくあることですか?」
羽生「ないですね。それができるのは谷川さんだけです。」


谷川の全盛期の将棋というのは、驚きの連続だった。中盤前半くらいで突然「あれ?」という手を指す。そこから数手「あれ?あれれ?」という手が続く。しばらく進むと相手玉の詰み形になってて、終局後、一体どこからこの局面を読んでたんだろうと遡っていくと、最初の「あれ?」の手であることが分かって、みな絶句する。「こんなとこから詰みまで読んでいたのか……」と。負けた対局者は圧倒的な力量差を思い知らされる。


羽生「コンピュータになくて人間にあるのは、恐怖心みたいなものだと思うんです。それが同時に美意識をも生んでいる。」


あと、同書の「GoogleとBonanza」の話も面白かった。

今年11月25日に出た梅田望夫『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語』と、その翌日に出た羽生の『結果を出し続けるために (ツキ、プレッシャー、ミスを味方にする法則)』も楽しみである。




『All I want for Christmas is you』Mariah Carey


『All I want For Christmas is Robert Downey Jr!』




大きな岩
これは有名なコピペでつ。

***

ある大学でこんな授業があったという。

「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」

君たちの人生にとって“大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり…。
ここで言う“大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。


Enya 『Silent Night』




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