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名言
予期せぬ壁が唐突に立ちはだかったとき、ダメージを受けて「もうダメだ」と力が抜けてしまう人と、逆に「この問題を解決して次につなげよう」と闘志が湧いてくる人がいます。当然後者の人材が優れているわけですが、そんなふうに闘志を燃やせる人の共通点は、ネガティブな状況が生じた際に「ひと(誰が問題か)」ではなく「こと(何が問題か)」に向き合う姿勢にあると思います。

南場智子

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地位が人を作る
(温尻 2008.5.27)

ハッタリとは、信用の前借りである。

名言を吐いてしまった。この口が憎い。

ヽ(´ー`)ノ

実績を作ってから「実績があります」と言う場合、これを「自己アピール」という。
実績もないのに「実績があります」と言ってその後に実績を作る場合、これを「ハッタリ」という。

ハッタリの1つや2つ、涼しい顔してカマせない人間など、オトナの名に値しない。

ヽ(´ー`)ノ

「地位は人を作る」というのも同系だ。

人は地位に相応しい実力をつけてからその地位につくのではなく、地位についた後でそれに相応しい実力をつける。

ヽ(´ー`)ノ

結婚を、まだそこまで成熟していないなどと言って、延ばしてはならない。
人類はみな成熟する前に結婚してきた。




ちょっと芸が足りない
今の若者はプライドが高すぎる

「人間が大嫌い」な哲学者・中島義道の本を以前2冊ほど読んだことがある。
言ってることは真っ当なんだけど、ちょっと芸が足りない。同世代に芸達者な内田樹がいる不幸。

(・д・)

昔のホリエモン、今の橋下徹。
彼らを好きか嫌いか、擁護するか否かはどうでもいいとして、一つだけ決定的に共感できることがある。

「既得権益層が大嫌いだ」という想い。

(・д・)



稀勢の里、その唇
武豊のダービー5勝目も、佐藤天彦vs山崎隆之のNHK杯将棋もよかったけれど、先週の必見は、大相撲14日目(土曜)、13連勝同士の横綱白鵬vs大関稀勢の里、これに尽きる。

2008年5月2日、『安馬を見よ。』(PC) (携)で「稀勢の里のヒネた唇」と書いた。それから数年経っても稀勢の里(1986年生まれ)の精神は幼いままで、ヒネた唇は変わらないままだった。

しかしこの数ヶ月で稀勢の里の顔は別人のように変わった。甘ったれてない大人の顔。

いいぬぅぅぅ。

ぼくは惚れ惚れして彼の顔を見つめた。これは素晴らしい取り組みになるお!と。

白鵬の本気なんて日馬富士相手以外では滅多に観られない。

いやぁ、ほんっと素晴らしい勝負だった。

ヽ(´ー`)ノ

ところで、立会いが合わなかった際、以下の動画で36秒のとこ、稀勢の里の所在なげな左手、ここがまだ白鵬に敵わないところ。





思えば遠くへ来たもんだ
「おまえ、開業してこの1年、がんばったか?」

と問われたら、ちょとばかし自信もって

「うん」

と答えられる。

(´ー` )

たった1年だけど、思えば遠くへ来たもんだ。うぉっほ。

すごく幸運だったなぁと思うことが2つある。

1つは、辞める(独立する)きっかけが「ブチギレ」だったこと。
怒りのエネルギーが強い推進力となった。だから不安はなくて危機感(wktk感)だけがあった。

もう1つは、インターネットでの集客が可能な時代だったこと。

(´ー` )

転職・独立とか結婚とか、人生の大きな節目には覚悟(腹を括ること)が必要で、誰もが人生で何度かは経験するんだろうけど、その覚悟が怒りによって誘発されたことは本当に幸運だったと思う。

(・д・)ラッキー!!


思えば遠くへ来たもんだ/海援隊




最も好きな装画
これまで読んだ本のなかで最も好きな装画(カバー絵)がある。

西部邁『思想史の相貌―近代日本の思想家たち』(1991年)

絵は秋野不矩(あきのふく)。

なぜこの絵にここまで惹かれ続けているのかは分からないんだけど、二十年経った今でもこの絵が好き。





ビジョナリー・カンパニー
名著の誉れ高い『ビジョナリー・カンパニー 2』。読んでないけど、amazonの内容紹介を読んでたら、

「飛躍を導いた経営者は、最初に優秀な人材を選び、その後に経営目標を定める。目標にあわせた人材を選ぶのではない。」

とあって、「あー、やっぱそれでいいんだぁ」と。

今年2月27日『新人弁*士の採用を考えてる。』(PC) (携)で「しかし、『こういう事務所にしたいからこういう人が欲しい』という発想はそもそも有効なんだろうか?順番としては、なんとなくいいなぁという人を採用して、そういう人が集まった結果としてこういう事務所になっちまった、みたいなのが本則っつー気も。」と書いた者としては、我が意を得たりと。

ただ、専門分野の特性から絶対に必要な資質が一つある。

ストレス耐性(タフネス)。

これについてはまたいずれ書くとして、『ビジョナリー・カンパニー』シリーズ5冊は読んどいたほうがええのかしら?




「絶対怯んじゃだめ」
昨年12月、キャパぎりぎりか?という仕事が立て続けに2件はいった。
なんとかやり遂げはしたんだけれど、もちっと勉強が必要だと痛感し、年末年始9連休はひたすら勉強した。

よーし、これであの2件の2倍や3倍規模の仕事ならいけんでーー!と思ってた1月中旬、10倍規模のが。

コメント欄でのMHくんとのやりとりで『タモリの仕事論』を再び引用したのは、ちょうどそんなときだった。


自分の中で「これくらいの力がついたらこれくらいの仕事をしよう」と思ってもその仕事は来ない。必ず実力よりも高めの仕事が来る。それはチャンスだから、絶対怯んじゃだめ。


ぼくは怯んだ。

でもタモリの言葉を思い出して勇気を奮い立たせ、仕事を引き受けた。

ヽ(´ー`)ノ

いろいろご迷惑をおかけした。

そしてぼくは経験値を爆発的に増加させた。


追伸。
タモさん、「それはチャンスだから、絶対怯んじゃだめ」と言ってくれて本当にありがとう。電話相談の時点で「む、むりや…、でかすぎる…」と思い、その後も依頼者が来るまでの数日間、「むりや、お断りしよう」と千回くらい思ったぼくは、あの言葉がなかったら怯んで引き受けられなかったと思います。多謝。

ヽ(´ー`)ノ



名言

もう五年生きていたら、本当の絵描きになれる。

葛飾北斎





「なぜ日本には」って問い。
「なぜ日本にはスティーブ・ジョブズは生まれないのか?」みたいな記事を読むと、

(・д・)ハァ??

と。

現在、世界には約200の国家があって、ジョブズは米国でしか生まれていない。英国にも独国にも中国にも生まれていない。

メッシはアルゼンチン以外で、ゴダールはフランス以外で、羽生は日本以外で、生まれていない。




理由なき絶望

(温尻 2009.7.29)

宮台真司・香山リカ『少年たちはなぜ人を殺すのか

(香山)
ところで宮台さん、Coccoのアルバム「ラプンツェル」聴きました?

(宮台)
最高です。

(香山)
なぜ最初から絶望しているのか。失恋したわけでも失業したわけでもない。でも舞台に登場した瞬間、歌い始めた瞬間、深く絶望して傷付いているのがこちらにも伝わってくる。

(宮台)
浜崎あゆみといいCoccoといい、「理由なき絶望」が出発点ですよね。未規定な絶望を歌う彼女たちに癒される若者が多いのは、規定された絶望だと「自分は違うな」となってしまったり、物語化のウソくささを感じてしまうからかもしれない。ただ、個人的にはもっと先に進んでほしいなという気がします。

ボーカルの佐藤伸治君は33歳で死んじゃったけど、「空中キャンプ」をはじめ珠玉の作品群を残したフィッシュマンズは、僕の感じ方では、単に絶望を歌うのではなく、「絶望の心地よさ」を歌っていました。フィッシュマンズを聴いて僕も何度も死にたくなったけど、苦しいからじゃなくて、生きることと死ぬこととの間には実は少しも差がないのではないかという感じがしてくるからです。その点、やはり死んでしまった漫画家ねこぢるの作品群と似ています。

浜崎あゆみやCoccoみたいな身を切るような絶望感は、期待の裏返しから来る呪詛だけど、佐藤伸治やねこぢるには社会への期待はなく、受容的な態度に満ちているでしょう。とても逆説的なんですが、社会への期待が招き寄せる絶望は絶望は人を動けなくするけれども、期待自体を失って受容的になることで人は自由に動けるようになる気がします。その自由の中には死への自由も含まれてしまうんですが、僕はそれでいいんじゃないかと思います。






よくある不条理
映画やテレビドラマで、医者が患者や家族にガンを告知したり、遺族に死亡の事実を告げたりし、聞かされた方は最初戸惑い、その後医者に「なんでなんですか!!」と泣きながら掴みかかったりするシーンがよく出てくる。
もちろん医者は悪くない。でも患者や遺族も怒りを誰に向けていいのか分からないから目の前の医者に向ける。

ああいうシーンは、ぼくのような仕事をしている者にとって、まったくヒトゴトじゃない。



映画『ゴールデンスランバー』
映画『アヒルと鴨のコインロッカー』(原作・伊坂幸太郎)はリズム感を欠いて退屈だったので10分ほどで観るのをやめたけど、同じく原作伊坂幸太郎の映画『ゴールデンスランバー』はかなり面白かった。(演技が下手だなぁといつも思わされる竹内結子が初めてイイ演技をした作品かもしれない。堺雅人は相変わらず奇妙な面白さ)

この2作品は同じ監督(中村義洋)が撮ったものだとは思えない。
前者2006年、後者2010年。4年の間に何があったんだろう。
と疑問に思って、同監督の2008年『チーム・バチスタの栄光』(原作・海堂尊)と(その続編)2009年『ジェネラル・ルージュの凱旋』を観たけどイマイチ。

『ゴールデンスランバー』で化けたのかしら。





小説を書くことについて語ろう。
JTから引用。(●´ω`●)ゞ

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

「小説を書くことについて語ろう。」

小説家としてインタビューを受けているときに、「小説家にとってもっとも重要な資質とは何ですか?」という質問をされることがある。小説家にとってもっとも重要な資質は、言うまでもなく才能である。文学的才能がまったくなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれないだろう。これは必要な資質というよりはむしろ前提条件だ。燃料がまったくなければ、どんな立派な自動車も走り出さない。

しかし才能の問題点は、その量や質がほとんどの場合、持ち主にはうまくコントロールできないところにある。量が足りないからちょっと増量したいなと思っても、節約して小出しにしてできるだけ長く使おうと思っても、そう都合良くはいかない。才能というものはこちらの思惑とは関係なく、噴き出したいときに向こうから勝手に噴き出してきて、出すだけ出して枯渇したらそれで一巻の終わりである。シューベルトやモーツァルトみたいに、あるいはある種の詩人やロック・シンガーのように、潤沢な才能を短期間に威勢良く使い切って、ドラマチックに若死して美しい伝説になってしまうという生き方も、たしかに魅力的ではあるけれど、我々の大半にとっては、あまり参考にはならないだろう。

才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。僕は普段、一日に三時間か四時間、朝のうちに集中して仕事をする。机に向かって、自分の書いているものだけに意識を傾倒する。ほかには何も考えない。ほかには何も見ない。思うのだが、たとえ豊かな才能があったとしても、いくら頭の中に小説的アイデアが充ち満ちていたとしても、もし(たとえば)虫歯がひどく痛み続けていたら、その作家はたぶん何も書けないのではないか。集中力が、激しい痛みによって阻害されるからだ。集中力がなければ何も達成できないと言うのは、そういう意味合いにおいてである。

集中力の次に必要なものは持続力だ。一日に三時間か四時間、意識を集中して執筆できたとしても、一週間続けたら疲れ果ててしまいましたというのでは、長い作品は書けない。日々の集中を、半年も一年も二年も継続して維持できる力が、小説家には――少なくとも長編小説を書くことを志す作家には――求められる。呼吸法にたとえてみよう。集中することがただじっと深く息を詰める作業であるとすれば、持続することは息を詰めながら、それと同時に、静かにゆっくりと呼吸していくコツを覚える作業である。その両方も呼吸のバランスがとれていないと、長年にわたってプロとして小説を書き続けることはむずかしい。呼吸を止めつつ、呼吸を続けること。

このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてくる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。これは日々ジョギングを続けることによって、筋肉を強化し、ランナーとしての体型を創り上げていくのと同じ種類の作業である。刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。

優れたミステリー作家であるレイモンド・チャンドラーは「たとえ何も書くことがなかったとしても、私は一日に何時間かは必ず机の前に座って、一人で意識を集中することにしている」というようなことをある私信の中で述べていたが、彼がどういうつもりでそんなことをしたのか、僕にはよく理解できる。チャンドラー氏はそうすることによって、職業作家にとって必要な筋力を懸命に調教し、静かに志気を高めていたのである。そのような日々の訓練が彼にとっては不可欠なことだったのだ。



名言
創造性に関する偉人たちの15の名言


独創性とは思慮深い模倣にすぎない。

ヴォルテール


頭で考えてはいけない。思考は創造の敵だ。
それは単なる自意識で、自意識は始末に負えないものだ。
何かをしようとするのではなく、ただやらなければならないだけだ。

レイ・ブラッドベリ


人は存在するものだけを見て、「なぜそうなのか」と考えるが、
私は存在しないものを夢見て、「なぜそうではないのか」と考える。

バーナード・ショー



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