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豊島の6九桂
昨日放送されたNHK将棋、豊島(トヨシマ)将之七段(23歳)が佐藤康光九段(43歳)に勝った将棋を観て、「豊島って、ホンモノだ!!」と。

佐藤とか羽生って、定跡将棋も泥沼将棋も滅法強くて、陸上でいえばトラック競技も(山野を走る)トレイルも、短距離も長距離も強いんだけど、つまりダート1200mから芝2400mまで勝ったカブラヤオーみたいなもんで、それに対して若手棋士はひ弱いと言われてるけど、棋界屈指の研究家と称される豊島は6九桂馬で佐藤の攻めを凌いだ。すごい。

Chikirinの日記2013-09-29 (完全に詰まされたので)将棋をはじめることにしました

森内(名人)wwwなにやってんだwww

(゚∀゚)

先日、矢内理絵子(女流棋士/33歳)が結婚という目出度いニュースが流れてたけど、その数日前に地下鉄車内で「あれ?矢内か?矢内じゃない??」とガン見しちゃったあの帽子を目深に被った女性が矢内だったのかどうか、分からない。でもたぶん矢内だった。

そしてその数週間前、弟からメールで「今、新大阪駅にいてんねんけど、目の前に島朗(シマアキラ)が!」と。

兄弟揃って将棋好きで、棋士に遭遇してコーフンの図。

(゚∀゚)

10月6日(日曜)23:00フジ放送『凱旋門賞・生中継』が楽しみ。
オルフェーブル(凱旋門賞昨年2着)とキズナ(日本ダービー馬/前哨戦で英国ダービー馬を負かした)の2頭が出走。

Prix de l'Arc de Triomphe 2012


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他者の欲望を欲望する
モナコの花火大会にクルーザーで集うお金持ちは二流!?[橘玲の世界投資見聞録]

欧米や日本のようなゆたかな先進国では、富はかつてのような希少性を失ってしまった。
いまや“自己顕示”のためには富以外の付加価値が必要になった。

成熟した社会でひとびとが熱烈に求めるものは、金銭ではなくセレブリティだ。この言葉の定義は難しいが、たんなる芸能人(有名人)ではなく、学問や芸術など知的な(高尚とされる)分野で大衆的な注目を浴び、ひとびとから尊敬されることが現代社会ではもっとも価値が高いとされている。

そう考えると、花火大会に合わせてクルーザーでモナコにやってきて、パーティに若い女性(あるいは娼婦)を集め、招待客が来るかどうかで一喜一憂するのは、血眼になってセレブリティを求める二流の金持ちだということになる。ほんもののセレブはものすごく忙しいので、こんなところまでわざわざ花火を見にやって来たりしないのだ。

彼らが富を顕示するのは、それ以外に見せびらかすものを持っていないからだ。これはある意味、かなりイタい。


なぜイタいのか、それは簡単で、ラカンが「欲望とは、他者の欲望を欲望することである」と言ったように、「自分の欲望」がない人たちは「他者の欲望を欲望」するしかないからだ。
「自分の欲望」とは、つまり、これまで何度も書いてきたように、「才能」のことだ。

欲望=才能。

自分の欲望(才能)がない人たちは他者の欲望を欲望するしかない。

ただ、どうせ欲望(才能)がないのなら、1000億円とクルーザーとスーパーカーと若い美女を持っていないよりも持っている方がいいと思うんだけど…

(・д・` )



我が儘に、傲慢に、不遜に。
こないだ、誕生日、「自分には、我が儘さ、傲慢さ、不遜さが足りない。いくらなんでも足りなさすぎる」と思った。

なので、これからはもっと我が儘に、もっと傲慢に、もっと不遜に生きていこうと思った。

そうやって気持ちよく生きていくためには、いろんな人に「与える」「貢献する」ことが必要で、それは「人としてやるべきことをやっている」っつーことで、それをやっているからこそ気持ちよく傲慢に生きていくことができるわけで。不思議だけど人間ってそういうもん。




「自分らしさ」の根源的な不安
(温尻 2011.3.4)

橘玲氏「ぼくたちが望んだ無縁社会」。

前期近代:18世紀の産業革命によって経済(市場)は爆発的に拡大し、ひとびとは身分制(階層社会)の桎梏から解放され、人類史上はじめて「自由」と「平等」を理想として掲げることが可能になった。

後期近代:第二次世界大戦後、社会がより豊かになると、ひとびとの関心は〈社会〉から〈私〉へと向かいはじめる。


アメリカ、ヨーロッパ、日本などの「液状化した社会」では、地域や文化のちがいに関係なく、以下のような現象がひろく観察される。


1.「トラウマ」「アダルト・チルドレン」「多重人格」といった俗流心理学が流行し、社会的な問題を個人的な環境や異常心理に還元して解釈するようになる。

2.前期近代では、失業は社会階層(階級)の問題とされ、プロレタリアートによる階級闘争に結実したが、社会問題が個人化する後期近代では、家庭・教育・恋愛・職業体験などの個人史の結果とされ、階級や社会集団を構成しない孤立するプレカリアート(ニート、フリーター)を生み出した。

3.「社会的不平等の個人化」は、福祉国家化という近代の達成の必然的な結果でもある。ゆたかな社会と充実した社会保障によって伝統的な共同体(家族やムラ社会)から個人は解放され、それによってすべてのリスクを自分だけで背負うことになった。

4.前期近代では、伝統的共同体から解放された個人は、学校や会社、軍隊などの「近代組織」に組み込まれ、そこでの道徳や秩序(イデオロギー)に従った。後期近代の消費社会では「自己実現(自分さがし)」が人生の唯一の目的となり、「革命的個人」は「ナルシス的個人」に置き換わった(「第二の個人主義革命」)。

5.「自分自身に忠実であれ(=私らしく)」を価値規範とするナルシス的個人は、それ以外に参照すべき価値基準を持っていないため、根源的な不安にさいなまれる。自分を参照しながら自らの未来を決断する「再帰的」生き方は、おうおうにして無限ループへと陥っていく。

6.自分が自分にフィードバックしていく再帰的近代(後期近代)では、〈私〉を管理する自己コントロール能力がきわめて重要になる。わたしたちは絶えざる「自己点検」「自己評価」によって「自分は何者か」を説明しつづけなければならなくなるが、再帰的自己を完全にコントロールすることは原理的に不可能なので、この試みはいずれは破綻する。


ここで述べられているのは、「自分らしく生きたい」という当たり前の願望が「絶望」を生み出す冷酷なメカニズムだ。無縁社会は社会の病理ではなく、私たちがみずから望んだグロテスクな「近代の完成形」なのだ。


ものすっごく分かりやすい。

ウンウン(´ー` )



1996年のドンッ♪
どれほど分かり合える同志でも
孤独な夜はやってくるんだよ
このわだかまり
きっと消せはしないだろう

(・д・)

ちょと難しいか。

んじゃぁ。

(・д・)

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら 僕だってそうなんだ

(・д・)

はい、Mr.Children『名もなき詩』ですね。正解。

歌詞/作詞・作曲 桜井和寿



「生きている実感」
「生きている実感」とか「生の手触り」とか「この世界との幸福な関係」とかそういうものを持てない、感じられない、ゆえに居心地が悪いとか居場所がないとか感じる人は多いだろうけど、そんなのは当たり前で、それは人類が言葉を獲得してしまったからだ。世界とぼくたちの間には常に言葉がある。

なので、そこは悩むところじゃない。少なくとも21世紀の日本人はそんなレベルで悩むべきじゃない。

ただ、女性達には、オーガズムと出産/子育てという2つの特権があるのに対して、ぼくたち男にはそれらがないため様々なものを獲得しながら「言葉を奪われる瞬間」に(言葉を介さず)世界と直接つながる必要がある。




性格と精神
誕生日を迎えると、「**歳になって、どんな感じですか?」と訊かれることがある。

ここ数年は毎年同じ回答だ。「自分がここまでオトナになってるとは若い頃には予想できなかった。驚いているし、嬉しい。」と。正直な感想だ。

性格は変わらないんだけど、精神(心?)は成熟する。

という言い方は、いや、間違っているのかもしれない。変わらないのが性格で変わるのが精神、という方向から定義した方がいいのかもしれない。まぁ性格障害(人格障害)と精神障害の違いも知らない素人なので、そのあたりはよく分からない。

(・д・` )

齢を重ねて、人はよく「小さい頃、20歳とか30歳ってすっごいオトナだと思ってたけど、実際に自分がその年齢になってみると、小さい頃と全然変わってなくて泣ける」と言う。それはぼくも分かる。しかし、35歳以降、「予想以上にオトナになってる」となった。

そう感じるようになった理由が、ほんとに精神的に成熟したからなのか、単に判断が緩くなったからなのか、そのあたりもまたよく分からないというのもまたウソで、よく分かってる。

振り返ってみると、18歳と35歳が大きな精神的転換期だった。二度生まれ変わったような感じだ。(性格は変わらないけど)
さて、もう一回くらいそういうのが来るのだろうか。来て欲しいんだけど。



昨日はM上の結婚パーティー
(入籍は昨年末だったから、パーティーだけかと思ってたら、披露宴もやったのね)

外苑前のイル デジデリオ リストランテ(il desiderio Ristorante)。

新婦は、やはり気配りができるしっかりした女性で、そうそう、yassiの奥さんの友人。

M上は総合格闘技をやってるので、参加者にその関係者が多く、余興の腕相撲大会は見物だった。新婦の友人達も可愛かったし。

( ´∀`)

Y倉は2歳上の彼女と1年ほど前に別れたらしい。
「え?おまえ、30歳超えた女を捨てたの?鬼!」
「最初から『結婚はしない』って言ってたから…」
「それでも結婚の義務は果たすのが男ってもんだろ…義務なんだから…」

新婚のTマカオ卒Uはハッピーそうで、不愉快極まりない。はやく地獄に堕ちてほしい。

千葉の團十郎Hくん38歳は、お子さんが3人いるけど、外道的ハッピーさが素晴らしい。

yassiはなぜかぼくのチンポを握ってた。

F森とは仕事の話ばっかりしてしまった。音楽の話を訊きたかったのに。

以下は噂。

M安も結婚したとか、するとか。事務所の秘書とだっけ?

OKB R は六本木の事務所を辞めて横須賀で独立。船上結婚パーティーのときは何も言ってなかったけど、大変いいことだ。

( ´∀`)




分からない本
ひとまず読み始めてはみたもののどうにもさっぱり理解できないってな本がある。蓮實重彦でも柄谷行人でもマルクスでもフーコーでもドゥルーズでもバグワン・シュリ・ラジニーシでも誰でもいい。そういう本をうんうん唸りながら1回読んで分からず、2回読んで分からず、それでも読み続けてようやく「あっ!」と分かる、そういうことを何度も経験しないと、真に「考える力」なんて絶対につかない。『考える力をつける』みたいな「すぐ分かる」情報系の本を100億冊読んでも永遠に獲得できない。

30歳になる前にそういう経験をしておく必要があり、それは例えば遅くとも5歳までにヴァイオリンを弾き始めないとプロにはなれないのと同じくらい致命的で不可逆。

(゚Д゚;)


(↓温尻 2008.9.7)

内田樹氏「本を読もう」。

私が高校生の頃、国語の教科書に出てきた「中原中也」という名前の読み方が分からなくて、小さな声で「なかはら、なかや」と読んだ同級生がいた。彼はそれから三年間、誰からも相手にされない暗い青春を送らねばならなかった。

私たちは少し意地悪すぎたかもしれない。しかし、そのような緊張感ゆえに、その頃の私たちはある種の書物にいやおうなしに立ち向かうことを強いられたのである。

苦役に耐えるようにして読まなければならない書物というものがある。高校生や大学生の手持ちの知識や感受性や理解力をもってしては、まったく歯が立たず、それを読み通すためには、自分の考え方の枠組みの容量をむりやり押し広げなければならないような、ときにはおのれの幼い世界観が解体する痛みに耐えねばならないような読書経験がある。高校生がマルクスやニーチェやドストエフスキーやバタイユを読むというのは、そのようなある意味では痛々しい経験である。

**

すぐれた書物は私たちを見知らぬ風景のなかに連れ出す。その風景があまりに強烈なので、私たちはもう自分の住み慣れた世界に以前のようにしっくりなじむことができない。そうやって、さらに見知らぬ世界に分け入るのだけれど、必ず「あ、ここから先は行けない」という点にたどりつく。そして、ふたたび「もとの世界」に戻ってきたとき、私たちは見慣れたはずの世界がそれまでとは別の光で輝いているのを知るのである。

若い人に必要なのは、この終わりなき自己解体と自己再生であると私は思う。愛したものを憎むようになり、いちどは憎んだものを再び受け容れる、というしかたで、私たちは少しずつ成長してゆく。そのためには幼いときから「異界」と「他者」に、書物を介して出会うことが絶対に必要なのだ。どれほどすぐれた物語であろうと、『ドラえもん』だけでひとは大人になることはできない。

みなさん文学を読みましょう。




36の真実
炎上が怖いから表立っては言わないけれど、みんな薄々気がついてしまっている身も蓋もない世の中の36の真実

( ´∀`)ははは

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お前らカルピスをアイスコーヒーで割ってみろwwwwwww

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懐かしい「昭和の学校給食」特集

平成生まれのぼくなのに、なんとなく懐かしさを感じる。三丁目の夕日か。

あなたもハーバード大へ ~広がる無料オンライン講座~

素晴らしい。学べるってことは素晴らしい。


小島武夫の九蓮宝燈 (・д・` )




背中の知性
地下鉄のホームを歩いてて、「ああ、知性って背中に出ちゃうんだなぁ」と前を歩く女を見ながら思った。

歩き方が綺麗な女っていいわぁ。すーっと歩くよね。ドシドシとかカツカツじゃなくって、すーっと。




4三角引不成
先々週のNHK将棋で「歴史的な寄せ特集」みたいなので、昭和58年の王位戦リーグの大山vs谷川の将棋が紹介された。谷川が21歳で史上最年少名人になった直後の将棋。

谷川99手目、4三角引不成。

5二の角を4三に引いたんだけど、成ると打ち歩詰めになっちゃうので、不成(ならず)。

※棋譜は以下で再現可能。
http://shogikifukaisetu.blog15.fc2.com/blog-category-13.html

こういう手は、通常のヨミの延長線上には絶対に現れない。その発想には尋常ならざる飛躍がある、とぼくのような素人でもわかるくらい凄まじい手で、解説の鈴木大介八段が「4三角引不成と指したんですよ」と駒を動かした瞬間、テレビの前で言葉を奪われた。頭の中に言葉がまったく浮かばず、まさに奪われたとしか言い様がなく、おまけに時の流れや気温、そういうものからも隔離されてしまう感じで、それって、これぞ「芸術の力」というもので、すげえなぁ。



『半沢直樹』から『リーガルハイ』
日曜のTBS系ドラマ『半沢直樹』の第9回が視聴率35.9%なんていう凄い数字を叩き出しちゃって、次週の最終回は『家政婦のミタ』最終回40.0%を超えて「お化けドラマ」になる可能性が濃厚になったけど、同主演の堺雅人が立て続けに主役を演じる10月9日(水)22:00放送開始『リーガルハイ』(フジテレビ系)はその追い風に乗るだろうが、堺に『半沢直樹』的演技を期待する視聴者はその期待をあっさり裏切られることになるだろう。と容易に予想されるだけに、堺がお茶の間からの無言の圧力に屈して縮こまった演技にならないか心配だ、というのはウソで、彼に限ってそういうことはないだろう。思いっきりハジけていただきたい。

『リーガル・ハイ(LEGAL HIGH)』は昨年4月に放送されたドラマで、次クールに放送される前述『リーガルハイ』(「・」が入らないらしい)はその続編にあたるんだけど、これは拝金主義的弁護士の超おバカコメディで、しかし、視聴者は半沢直樹に見たある種の「深み」を古美門研介弁護士にも見ることができ、ぼくとしては『半沢直樹』より『リーガル・ハイ』の方がドラマとして面白いよ裁判長!と声を大にして主張したく、まだ観ていない方々は10月9日までには是非とも視聴されたい。拝金主義者が延々と『真実』だけを語り続けるという異常なドラマに仕上がっています。

「権威づけられたものだけをありがたがるその節操のなさが愚民なのだ」

「結婚に理想などない。あるのは妥協か諦めか、或いは血で血を洗う抗争だけだ」

「成功する子役なんて2通りだろう。大人の金儲けのために鞭打たれる哀れな操り人形か、大人の顔色を見て手玉に取るませたクソガキか」

「見たまえ彼らの満足そうなこの表情を。ズワイガニ食べ放題ツアーの帰りのバスの中そのものじゃないか。黛君よく覚えておきたまえ、これがこの国の馴れ合いという文化の根深さだ。人間は長い年月飼い馴らされるとかくもダニのような生き物になるのだよ」

ぼくは、先の日曜、朝からカフカ『変身』を読み終えてからiPadで前作『リーガル・ハイ』を再びいっきに観て、やっぱり面白いなぁと感心し、次作で新垣結衣が長澤まさみのように女優としてどんどんダメになっていくところを目撃することになりませんようにと願ってる←イマココ。

 


劣等感
コンプレックスまみれの心を楽にするだけなら、方法は簡単です。自分のコンプレックスについて考え続ければいいのです。2週間もコンプレックスのことだけ考え続けると、悩むことに飽き、どうでもよくなるときが来ます。この塩塗り療法が、日本人には一番効くのです。

植木理恵



いや、これも違う
えらい調子が良くて集中力も高い、そんなときに迂回を書いてるとどんな感じかというと、スラスラっと言葉が出てくるというんじゃなくて、ひとまず出てきた言葉に対して「違う」となって、次にまた「いや、これも違う」というのが連続する感じで、なんというか、言葉が存在しないはずの空っぽの中心に向かって一枚一枚タマネギの皮を剥いていくようなというか、鬱蒼とした密林を前へ前へ踏み入って行くというか。



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