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既に存在するもの/受容体
仏師・松本明慶は、仏像を彫るとき、材料となる木の中に仏の姿が浮かんで見えるという。
その感覚は、『ガラスの仮面 (白泉社文庫)』(美内すずえ)においても描かれているが、それは松本明慶がその感覚を得る以前だから、おそらく最高レベルの仏師に共通する感覚なのだろう。

仏師は、既に木の中にいる仏を見つけ、それを彫り出す。

人は何かを創り出すのではなく、既に存在するものに形を与えるのだ。

モーツァルトの楽曲も同じだ。
既に存在するものに音を与えた。

ヌレエフの舞踊も同じだ。
既に存在するものに肉体の動きを与えた。

保坂和志の小説も、伊藤比呂美の詩も同じだ。
既に存在するものに言葉を与えた。


既に存在するものに形を与えてこれを表現すること、ひとはこれを一般に「芸術」や「表現」と呼ぶのだけど、では、「既に存在するもの」とはいったい何だろうか。


受容体(receptor)とは、生物の体にあって、外界や体内からの何らかの刺激を受け取り、情報として利用できるように変換する仕組みを持った構造のこと[wiki]をいうが、おそらく人類には、ドーパミン受容体やビタミンD受容体のような、「芸術受容体」(Art receptor)とでも呼称すべきものが組み込まれているのではないか。それは人類に普遍的に共通するものであったり、時代や民族や人種や性別や階層によって異なるものであったり様々だろうけど、我々はその芸術受容体に反応するものを受容し、それを「感動」や「言葉の喪失」や「快楽」に変換するのではないか。

その芸術受容体に反応するものがつまり「既に存在するもの」なんだけど、それっていったい何なのだろうか。数千、数億、いくつほどあるのだろうか。


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