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少年犯罪を消費する欲望
斎藤環『心理学化する社会

不謹慎を承知で私もあえて失言してみよう。これらの一切は、あきらかに「祭り」ではなかったか。メディアも私たちも、語るべき少年犯罪の長き不在に飢えていたのではないか。(神戸以来)長崎の事件はあたかも六年ぶりの慈雨のように、私たちの「欲望」を満たしはしなかったか。この種の「欲望」については口をぬぐい、その一方で犯罪の予防を要請する欺瞞とは私は共存できない。これが「祭り」であったことを証明するのは簡単だ。多くのマスコミや専門家は、現実を無視して「少年犯罪の増加・低年齢化・凶悪化」を指摘した。しかし犯罪白書などの統計データをみれば一目瞭然であるように、これらの指摘は事実に反している。十二歳、あるいはそれ以下の年齢の殺人事件ですら、過去にいくつも前例がある。メディアはなぜその事実を積極的に述べないのか。考えられる理由はただ一つ。誰もせっかくの「祭り」に水を差すような野暮はしたくないからだ。


「少年犯罪は増加・低年齢化・凶悪化している」とメディアで言われ始めたのは最近のことではなく、1980年代からである。これに対して専門家は「そんな事実は全く存在しない」と言い続けてきた。にもかかわらず少年犯罪に関する言説状況は変わらない。

少年凶悪犯罪補導・検挙数が最高だったのは1960年の8112人。1997年は2263人。

増加していない。
凶悪化もしていないし、低年齢化もしていないし、意味不明な犯罪・動機なき犯罪も増えていない。

おまけに日本の若者は世界で一番「人を殺さない」人たちである。
日本における殺人者の出現率は人口10万人あたり1.1人と世界最低レベルで、これは、一般には最も殺人を犯しやすい20代前半の殺人者出現率が低下したことが寄与している。1955年には10万人あたり23人だったのが、1990年代以降は2人で推移している。この40年間で1/10に減少。
若者の世代に殺人者率のピークがない国は日本以外におそらく存在しないと言われている。
それくらい日本の若者は人を殺さない。


家族関係希薄の物語、ゲーム脳という物語、現実と虚構の混同という物語、心の闇という物語、トラウマの物語、若者の性風俗の乱れという物語。

物語は分かりやすい。

理解不可能なものを前にして、自分の通念による解釈が機能不全に陥ったとき、人がとる対応は次の3つのいずれかであろう。

1.排除
2.物語化による消化
3.保留

1と2は安易な着地である。



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